ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

怒りから受容へ

家族を亡くした人が通る段階があるらしい。
グリーフケア”の段階として有名。
この段階は通り越したり、一つに長くとどまったりするらしい。

最初に否認。
「死んだなんて信じられない!」
まだ生きている気がする、と。

次に怒り。
自分へだったり、家族へだったり…。
それから、取引→抑うつ→受容へとすすむらしい。

私は今、「怒り」の段階なのだと思う。
「家族のみんなが祖父がなくなったことを
私のように悲しんでくれない!」と怒っている。
祖父の亡くなった日、時間差で妹が子どもを産んだので
お通夜もお葬式もその話題でもちきり。
高齢でほぼ老衰と呼べる祖父の死は不幸な死ではなかったけれど
それでもいなくなって、こんなに寂しいと思うのは私だけなの?!と
ずっと私一人怒っている。

そして、せっせと手紙を書いている。
ロンドンのパル、コロラドのパル、カナダのパル、チェコのパル、
「聞いて…私の祖父が亡くなったんだけれどね…」とながーい手紙を。
「あなたならどうする?」という問いかけもなにもなく、
ただただ聞いてほしいの!という手紙。
なので、この手紙は特に親しいパル限定。

ロンドンのパルには「手紙を書いて投函したけれど、
よいニュースではない。」と投函してから予告。
「どうしたの?」と聞かれ、
「祖父が亡くなって、まだ全く心の整理がつかなくて
手紙に書いた。」と伝えると、
「少しは書くことで整理できた?」と聞かれた。
「いいえ、全く!!」と鼻息荒く言ったけれど、
ふと気づいた。
かなり癒されているかもしれない。

家の中でずっと流れている高橋真梨子のCDを聴きながら
泣き出してしまうことも減った。
「お母さんがこどものとき、どんなおじいちゃんだったの?」と
こどもたちに聞かれても笑いながら話せるようになった。

手先が器用で木工作品を作るのが得意で、小学校の夏休みの木工作品は
いつもおじいちゃんに作ってもらっていた。
木で作った市販品ではないオリジナル貯金箱、
水鉄砲、竹とんぼ、そうめん流しセットに凧。
どれもこれも緻密で完璧な作品で…とても小学生の完成度ではなかった!
毎年、「おじいちゃん、小学生らしいのを作ってよ!」と注文していたっけ。
こどもたちに、
「えぇ?結局、夏休みの宿題はおじいちゃんにしてもらってたの?
家庭科の宿題はおばあちゃんにしてもらってたし…
宿題、ちゃんとやってなかったの?」とバレた。

私がせっせと書いた”怒り”段階の手紙は2週間ほどかけて海を渡り、
海外のパルたちのもとへ着き、
そして彼女たちからの返事が届くころにはきっと
”受容”できているんだろうと思う。

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