ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ねねちゃんのママ

そのときは抑えていたはずの怒りは、ふとした瞬間に爆発する。
お葬式で夫の親戚の数々の言動に慣れない”良き妻”を演じ、
「演じきった!私は女優!」と自画自賛し、
乗り切ったつもりだったけれど、やっぱり無理だった。
沸々と「大体ね~…」と怒りを夫にぶつけたり、
「ちょっと聞いて!!」と海外のパルたちに語っている。

例えば、お通夜でもお葬式でも我が家のこどもたち、
各種お手伝いをした。
お客さんたちの靴を並べる
(高齢者が多いのでしゃがむのがしんどそうだったため
お手伝いするようにこどもたちに指示をだした)
お茶を淹れて給仕する。
そのほかにもお弁当配ったり、配膳を手伝ったり…と
各種動いた小学生3人と私。
親戚のおばさん方に何度も言われた。
「あんたのところは男の子がよく動くなぁ」
「男の子が動くようにしている家?」
「立派な男の子たちだね~」と太郎と次郎を絶賛された。
そして義母には「ここは男の子がよく働く家なのよ~。」と言われた。
「それのどこがあかんの?」と夫が聞いてきた。

「花子も同じことをしているのが見えない?」と
何度も言いそうになった。
彼らにとっては、女性や女子は家事や給仕をして当然で
男子がやっているのはすごいことになる。
私は全く同じ仕事内容をさせていて、
やっぱりそつなくこなすのは一番年長の花子だけれど、
なんで花子が褒められないわけ?!と一人イライラした。
その代わりに私が花子を絶賛!
「やっぱり花子は目の付け所が違う。」とか。
(靴が脱げにくそうな高齢のおばあちゃんに椅子を持ってきたりしていた…)
男子が動いていてすごいとかではないのよ。
男女どっちがやってもやることは一緒。ほめるのも一緒でしょ~!!と
ねねちゃんのママ(クレヨンしんちゃんの登場人物)のように
トイレにぬいぐるみ持ち込んで、ぬいぐるみに怒りをぶつけたくなった。

そして、いつか言われるのだろうなぁとは思っていたけれど、
「花子ちゃんは女の子だから勉強はほどほどでいいからいいわね。」
「花子ちゃんはお勉強できなくても女の子だからいいものね。」
「医者になりたい?女の子なのに?」

仏教系のお葬式でしたが…
「女子教育に反対って、みなさんタリバン?」と
聞かなかった私をほめたい。なかなかいい抑えぶりでした。
「20年前の価値観より古いのでは?
ここはいまも昭和30年代くらいですか?」とかも言わなかった。
言わなかったけれど…
お勉強できるかどうかに女子は関係ないし、
女子がお勉強出来ても男子がお勉強できても「すごいね」でしょ?
そこに性別でてこないでしょ!
なんで花子の勉強の手を抜いて男子に力を入れろみたいなことを
言われなくてはいけないわけ?と数日後に爆発した。

こういう言動を聞き続け、やる気を失う女子は多いと思う。
だから、逆に私は花子を励まし続け、サポートし続けることが
私の使命だとすら思ったわ!とサウスカロライナのパルにも愚痴った。

「あなたは正しいと思う。私の母はそういうことをしてくれなかった。
だから、私はいま自分自身で、私はできるわ、価値があるわ、
尊敬されるに値するわよ、と励ましているわ。」
と、サウスカロライナのパルが言っていた。

「我が家には息子しかいないけれど、息子に家事を手伝わせるわよ。
"Many hands lighten the load"だから、」と。
(人手が多ければ仕事は軽くなる)

そのほかにも全然いらっとしてないし、怒ってもないけれど
女性たちが多かったはずなのに私が延々と
コップを洗う係になっていた。
あれ?一番下っ端は私か?
いやいや、私は”長男の嫁”で、田舎では格付け上では?
そういう格付けはなしにしても、一番年下は私ではないし…
年齢云々を置いておいても、一人で洗い続けるっておかしくない?
誰か「手伝います」とかないのか?!ともんもんとしながら
ひたすらお客さんたちのコップなどを私が洗っているとき
(家では食洗器なので久しぶりに手洗い…)
夫が親戚たちと談笑しているのもいらっとくるポイントだった。
いつもなら、「ちょっと!!」と大声で呼んで手伝ってもらうのに
そういうわけにもいかず。
ねねちゃんのママのように私も今度からぬいぐるみを持参しようかと。
トイレでひたすらねねちゃんのママと同じことをしてそうだけれど。

 

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