数日前、花子が祖父について言っていた。
「おじいちゃんの情報は古い。
いまの私には通用しないことが多い。」と。
それは最もなものも多く、親世代の話には私自身も
「いつの話!?」と思うことがあるけれど…
いや、私自身が言っていたから花子が言ったのかもしれない。
情弱、という言葉を思い出した。
情報、通信技術の理由に困難を抱える人、
またはネットから情報をうまく活用できない人で、
得られる情報の量や質の差は格差をあちこちで生みやすい。
そういうことは知っているけれど、
そもそも祖父母世代の高齢者に常に新しい情報にアップロード
していくことがいかに難しいか。
私の両親はネットもタブレットも使って情報を得ている。
夫の両親に至ってはネットにもつながっていない。
高齢者率は県内でも有数の地域に住んでいる。
彼らに求めるのは新しい情報なのだろうか。
花子に「祖父母に求めるのは新しい情報ではなく、
経験やいままでの人生で得てきた、
花子のようなこどもがもっていないものなのではないの?」と
たまには親らしく諭してみた。
祖父母世代まで、せっせと新しいセンター試験についての
情報収集を始めて、
「これからは英語の4技能だ!」とか
「記述対策をもっと進めていくべきだ。」とか言い出したら
困るのは花子でしょ?と、具体例を挙げて。
新しい情報は花子が渡せばいいじゃない。
祖父母世代が人生から得た教訓や経験を花子はもらうのだから、と
花子に伝えながら、
これはきっと親の私の考え方の合わせ鏡なのだろうなと
私自身の胸に花子の言葉が突き刺さった。