ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

頑張り屋さん

中1の花子が担任の先生を”頑張り屋さん”だと評していた。
曰く、睡眠時間も5時間程度で、朝の授業前の学習の丸付けを
お昼休みに休憩せずにしている。
学年で毎日提出することになった自習ノートは
その先生の発案で、その先生が一手にチェックしている。
「僕が考えたことだから、僕がチェックする」と先生はおっしゃったとか。

若い先生なので、頑張るわね…とは思うけれど、
それを”頑張り屋”と評価するのはどうなんだろうかと
つい花子に疑問を投げかけてしまった。

「先生、頑張ってない?」と花子に聞かれた。
いや、頑張っていないと言いたいのではない。
それは、先生が一人で請け負って続くのかしら?
学年団としてやることを決めたのに先生の責任として
先生だけがチェックするのはやっぱり違和感を感じる。
一人でチェックすると視野はどうしても狭くなる。
誰がどこで躓いているかを学年の先生たちみんなが問題共有するためにも
敢えてほかの先生たちにもチェックしてもらいたい、
とかなんとか私なら言うなぁ。半分、嘘も方便だけれど。

なにかを提案するたびに、自分の仕事が増えていくだけなら
誰もきっと提案をしなくなることが目に見えている。
気になることがあっても口をつぐみ始めるだろう。
それって、いいことなのかしら?
自習ノートをよりよくするためにはたくさんの先生の目と手が必要で
若い担任の先生も自分で抱え込むだけではなく
仕事を”共有”することも学んでいったほうがいいように思う。
そんな話を花子にしたら、
「同じ学年の〇〇先生はそういうことは苦手そう」と言っていた。
ええ、花子の言う通り。
いかにも苦手そうな先生がいる。
でも、そこは半分、目をつむる!
仕事を共有するっていうことはそういうこと。
花子の担任の先生のような完璧さはないかもしれない。
でも、その先生ならではの視点がきっとあって、視点が増えるのは
常に良いことだと思うようにしなければ
一人で抱え込むことばかりになるのでは?と花子と話した。
理想と情熱に燃えた若い担任の先生が燃え尽きないようにしてほしい。

花子の担任は自分でするほうが完璧にできると思っているんだろう。
私もそう思う。でも、時間が有限で、すべて自分ひとりではできない。
どうやって自分の仕事を減らして、その作り出した時間にもっと
発展させることはできないかを考える。
そういう管理者の目も先生はもったほうがいいのになぁと思った。