ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ジョーク

ロンドンのパルと話をしていた時、
知り合いの話になった。
友人にはなれない、と思うその理由、
「彼女、風見鶏なのよ。」と、そのまま英語に訳した。
weathercock:風見鶏

”What?”(なんだって?!)と聞かれて、
あら、”風見鶏”って通じないのね!と初めて知った。
まさかイギリスには”風見鶏”のような人はいないのか?
風見鶏というのは、その場その場の風を読んで、
意見をころころとかえる人のことよ。
英語ではなんていう?と聞いてみた。

"wishy-washy"と、そういう人は呼ぶけれど、
私は今度からweathercockを使うわ、とロンドンのパルから返ってきた。
風見鶏のほうが面白い表現だわ!と。
wishy-washyは優柔不断という意味でもよく使われているよう。

ここ数日、考えているのはジョークのことばかり。
数日前に読んだ『ユーモアは最強の武器』ではオバマ元大統領は
プロのコメディアンをスピーチライターに起用している話も
書かれていた。『24歳の僕がオバマ大統領のスピーチライターに?!』を
読んで知っていたけれど。

 


それでも、誰も傷つけず、自分の知性も疑われず…なジョークが多く
本当に感心する。よくできている…と。
例えば、『ユーモアは最強の武器』で紹介されていたオバマ大統領の
2011年一般教書演説の中でのジョーク。
「サケが淡水にいるときは内務省の管轄です。しかし、サケが海水にいるときは
外務省の管轄になります。」
「問題がさらにややこしくなるのは、スモークされたときです」
じわじわとくる笑いがある。
2011年のこの一般教書演説、アメリカ人に一番頭に残ったことは?
というラジオのアンケート、ダントツの”サーモン”(サケ)だったらしい。
・・・ユーモアしか残ってない!というところはもう笑うしかない。
ユーモアがメインになっていて、
ユーモアが成功しすぎた失敗例になっている気がする。

その一方で、いまだに真意を測りかねているジョークもある。
文化の差?どう思うことが正しいんだ?
誰が言うかで変わる?と悩んでいる本に掲載のジョーク。

「男性と女性がふたりきりでエレベーターに閉じ込められてしまい、
もう二度と生きて外へは出られないことが分かった。
女性が男性のほうを向き直って行った。
”死ぬ前に、女であることを実感させて”すると男性は服を脱いで
こう言った。”畳んで”」

これ、男性が言うと、なんだかすごく封建的でジェンダーに無自覚な
気がするので、このジョークを男性が言うのはアウトだろう。
女性なら?私が言うか?と聞かれると、知ってても言わない…。
このジョークは”これは言ってはダメなジョーク”なのか、
自虐で使うのか、ジェンダーを感じさせるときに使うのか、
これを言う上司は?と考えると、失敗する確率が高そうで
誰が言っても成功しないジョークな気がする。