ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

心配性対決

私は日本では多分、心配性なママにカウントされていると思う。

以前は心配性ママに思われないように言動に気を付けていたけれど、

本人は2割減くらいで言っても、「心配性ね。。。」と言われるので、

いまは開き直って、心配性なんです!と言っている。

かれこれ2週間ほど、こどものことで心配をすることがあり、

その病気や初期症状、治療法に予後と検索魔となっていた。

「やりすぎてない?」と私より上のレベルで心配性だと

思っていたママ友にまで言われてしまった。

市内で一番とまでは言えなくても、町内では一番その病気に詳しい!と

自負があるほどに調べ尽くした気がする。

アメリカの子持ちのパルと話していて、

いかに心配性か対決をした。

彼女は「おばあちゃんちにも泊まらせられない。」レベルです。

実母でもダメ。

実母が不安なんじゃない、こどもたちの寝顔をいつでも見れないのが

私には不安なのよ、と。

いやいや、でも、3,4軒先が実家で、歩いて行ける近所なのに?と

心配性を自認する私もびっくりの心配性。

なんだか勝った気がする、いや、心配性として負けたのか?

彼女は「ちょっと心配性すぎよ~」とさすがの私も思うけれども、

私もこどもたち3人が目の届く範囲にいると、とても安心する。

いまなにかがあっても、私が子どもたちを連れていけるという安心感。

東日本大震災以降、子どもと離れているときに天災が起きたら?と

いうのは心配性の私には不安の種。

「子どものことで、寿命は40年は縮まってるから。

日本人女性は長生きかもしれないけれども、心配性の私は例外。」

という話をしたところ、

Although they drive us crazy we love them.

(彼らは私たちを振り回すけれど、私たちはかわいくってしかたがないのよね。)

とアメリカのパルも言っていた。

drive:駆り立てる

”運転する”以外の意味があったのね…。

フランスのパルやアメリカのパルと話すと、

私の”心配性”なんて、まだまだかわいいものね~と安心する。

 

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