フランスの元軍人パルから長文メールが来た。
いかにフランスが表現の自由を尊重してきたか、
これがいかに私たちが死守しなければならない大切なものか、
について延々と書かれていた。
「私はあなたの意見には反対だ、
だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」
というヴォルテールの言葉にもフランスの思想が表れている、
と新聞でも読んだ。
ただ、表現の自由=他の宗教への侮蔑を許す、というわけではないと思う、
と思っているときに読んだ新聞記事がまさに!!でした。
2015年1月12日付の読売新聞。
フランスの歴史人類学者、エマニュエル・トッド氏。
要約すると、
社会に絶望した移民の若者がイスラム教に回帰するのは何かにすがろうと
する試みだ。言論の自由が民主主義の柱だと考えるが、
あり方は不信の時代では、有効ではないと思う。
いまフランスで発言すれば「テロリストにくみする」と受けとめられ
袋叩きにあうだろう。だからフランスでは取材に応じない、
独りぼっちの気分だ。
一部抜粋すると、
厄介なのは、「私はシャルリー」というスローガンが広まり、
その標語に乗れない人が置いてけぼりにされているのではないかと
思える点だ。つまり、「表現の自由を守る」イコール「シャルリーを認める」
となってしまうと、表現の自由は尊重するが「シャルリー」の
侮辱に耐えられないという人たちが置いていかれる。
対立するべき相手はテロリストであって
それ以外の何者でもないはずなのに、この論争で世論が割れることを
望むわけではないけれど、もう少し理性的に考える人はいないのか…と
大規模なデモを見て思った。
連帯している人たちには安心感を与えるであろう大規模なデモ、
イスラム教の人々から見ると、脅威でしかないだろうなぁ、と。