ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『私、なんで別れられないんだろう』

『私、なんで別れられないんだろう』

私、なんで別れられないんだろう~脳が壊れた彼との日々~


恋人が高次機能障害になった漫画家の話。
私には高次機能障害の友人がいる。
4年前にその障害認定をされたとき、たくさんの
できないこと、できなくなったことを彼女の家族から聞かされた。
料理の味見ができない、
優先順位がつけれない、
日本語を読めない、
自分のこどもの名前すら思い出せない。
リハビリをしたものの、ここからの回復はもう見込めない、
と言われたという話も家族から聞いた。
乳児がいたけれど、彼女に任せられないと保育園に
日中は預けることになった。
いまの彼女は料理も以前と変わらずしている。
前と同じように…とはいかない部分は多々あるとは思う。

高次機能障害の人たちの本をいくつか読んだけれど、
以前とは性格が違う人になって戸惑う家族が多く描かれている。
友人は激高することもなく、前より朗らかになった
気さえする。
高次機能障害とはいえ、人それぞれなんだなぁと
いろんな人の本を読むたびに思うけれど、
毎回、彼らが苦労するのは”見えない障害”であることだと思う。
友人も「もう治ったでしょ?役員をして」と言われて、
固まっていた。
話しているときの彼女を見て、
高次機能障害と気づく人はいないのだろうと思う。
その説明をしようとすると、
「聞き取りながらメモはできません」
「優先順位をつけられません」「日本語が怪しいです」と
自分で、できないことの羅列をしなければならず、
すればするほど、「できない人間な気分がする」と
彼女が語ったとき、彼女ではなく私が激高していた。
手軽にググれるスマホを多くの人が持っていても、
その障害をググったり、彼女の立場に立って考える人は
どれだけいるのか、と情けなくすら思う。
高次機能障害になった彼女は、元学校の先生で、
理路整然と話す人だっただけに、自分のできなくなったことに
いらだちを覚えることも多いのだろうと思う。

先日、とある説明会で靴を入れるビニール袋を持参することを
彼女は忘れていた。
私は彼女は忘れるのでは?というより文書を読めてないのでは?と
思ったのでビニール袋を2枚持っていき、
やっぱり読めていなくて忘れていた彼女に渡したら、
「メイ、なんで忘れることがわかったの?!エスパー?!」と
驚かれた。

日本語を読むことに苦労する彼女には説明会のプリント、
長ったらしくてわかりにくいだろうなぁと思った。
彼女には箇条書きのほうがわかりやすい。
というところまではわかっていたけれど、
ラインや電話で特にそのことを言わなかった。
細かく指示されるのはいやかなぁ、と。
もしかしたら、できているかもしれないし、
忘れていたとしても、私がビニール袋を1枚多めに持参すれば
それだけで終わる話だし、と。
「さすがお姉ちゃん!」と喜んでビニール袋を彼女は受け取った。
やっぱりこれが正解だった気がする。