ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

人生の先輩

過日、友達に誘われて、知っているけれど
あまり話したことのない知人の家に誘われた。

子育てをしているママさんの友達はむずかしい。
こどもを通して知り合い出来た”ママ友”は、
こどもの学年も同じなので心強い反面、
疲れる相手でもある。しかも、ママ友交流はどこで
どうつながっているかわからない!
学校でも顔を合わせることもあり、程よい距離も求められる。
価値観も多種多様で、その発想はなかった!と
幾度思ったことか。

今回、私を誘ってくれたのはこどもを通して知り合ったけれど
お子さんはすでに成人、しかも私より1周り下!
私の愚痴も「そんなことあったわねー。わかるわ!」と
いつも聞いてくれる。
その彼女の友人は彼女よりさらに年上で、
「来年は赤いパンツはかなくちゃ!」という年齢。

年齢が違いすぎると話が合わない、と学生時代は思っていた。
全くわかってなかったなぁ、と
思いながらお茶会から帰路についた。

年齢が全く違う人たち、世代が違う人たちとの会話は
とても新鮮!予想外の答えが返ってきたり、
達観した言葉の端々に人生を感じたり。
「いろいろあったのよ。ふふふ。」と。
私は彼女たちのこどもよりちょい上くらいの年齢なので
多少の不作法や不躾な質問も教えてもらえる立場なのも
ありがたい。

2つ共通点があった。
私たち3人のこどもたちは同じ公立中学校に通っている。
知人のおばさまのお子さんが中学時代に不登校になりかけ
学校に相談しても全くらちがあかなかったので、
「私立中学校への転入手続きを教えてくれますか?」と
アポをとって中学校へ行くと、わらわらと先生がでてきた、と。
それで、ちゃんと対応してくれて、めでたしめでたし?と聞くと、
「そんな先生はあの時代、あの中学校へはいなかったわね~。」と。
それから5年後に中学校へ入学した子がいる友人、
「私の子のときにもそんなしっかりとした先生はいなかったわね~」
それから10年経ていまに至りますが…
その中学校へこどもが通っている保護者の一人として
「伝統はしっかりと受け継がれてますよ。」と伝えた。
つまり、しっかりとした対応のできる先生はいない…。

もうひとつの共通点は3人とも関西出身者ではないこと。
もう関西に住んでいるほうが長くなったおばさまたちは
同郷の人と話せば出てくる程度くらいにしか
お国言葉がもうでてこない、と話していた。
そういうものですか…私は怒るときがずっとお国言葉なので
我が家のこどもたちはバリバリに私の方言で怒られる日々ですけれど。
「はよう、宿題せられーゆうとるじゃろが!」
(早く宿題をしなさいと言っているでしょ!)
「はよ起きられー!」
(早く起きなさい!)
「おえまー!」
(ダメでしょ!)
と、すぐに思いついて出てくるけれど…。

「今が一番楽しいときよ」と何度もおばさまたちに言われたけれど
早送りして、さっさとその境地に達したい。

学生時代、”先輩”と呼ぶのが嫌いだった。
もう一つ言えば、嫌いな人を”先生”と呼ぶのも
嫌いだった。
尊敬のない、上っ面だけの敬称、いりますか?と
思っていたし、
「年上なだけで先輩って呼ばれることに抵抗はないのですか?」
と本人に直接言ったことすらある。
部活に入るときには上下関係にうるさくない部活を選んでいた。
そんな私がおばさまたちには「先輩と呼ばせてください!」
と言いたくなるような充実したお話ばかりだった。