ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

下降よりは上昇で!

ここ数週間、やたらと言われた。
”野心的”だとか”上昇志向”だと。
インディアナ州アメリカ)の仲良しパルにも
「あなたは結果を求めるし、
より高みを目指していて、そのために頑張っている」と
指摘されて驚いた。
アメリカ人が言うほど、私は野心的ってこと???
日本では野心的でもアメリカに行けば一般的かと思ってたけれど…。

高い目標を掲げて、それを目指すことは批判される
ものではないハズなのに
なんだか”悪”のように言われるのは何なのだろう…と
モヤモヤしていた。

なんなのかしら、これ…とロンドンのパルに話すと、
「それって、あなたが”女性”だからで、
きっと男性だったら上昇志向で高い地位を目指そうと
誰も悪く言わないのよ。寧ろ、褒められるのよ」と言われた。

I think you just don't fit the mould of
'docil mother figure'that is culturally normal.
And this shocks people.
(あなたが文化的にふつうの”従順な母親像”に当てはまらないから
だと思う。それが、人々に衝撃なのよ。)

それでも、日本人に”上昇志向”って思われるのと、
アメリカ人に”上昇志向”って思われるのとは違う気がする…
文化的にアメリカなら上昇志向を厭わないと思っていたわ、
と話すと、
「そのアメリカの友人の年齢も何も知らないけれど、
小さなことを騒ぎ立てるなっていう育てられ方をしたのでは?
と思うのは、イギリス人からの視点のひとつね。
でも、時には騒ぎたてる必要がある問題もあるわよ。」と。
・・・イギリス人から見たアメリカ人、そうなの?!と
違う視点とロンドンのパルの意外な意見に驚いた。
えっ?そんな価値観だった?!と。

私のいままでのイギリス人やアメリカ人と付き合ってきた
感想、個人的なイメージとしては、
イギリス人のほうがルールに忠実で保守的、皮肉屋、
アメリカ人はカジュアルでフレンドリー…だったんだけれど、
と混乱してしまった。

「私はあなたはいつも誰かの代弁者になっていると思う。
自分の意見を言うこともあるけれど、それも自分自身のためではなく
誰かのために、ということが多くて、
誰かのために情熱をもって行動するって
”女性として”日本ではイギリスより難しいだろうとも思う。」
女性っていうだけで、低く見られたり、
相手にされないことはアメリカでも一般的なようで、
学校の先生をしているアメリカ人たちに学校に
ちょっと意見を言う話をすると、
「夫を連れて行くのよ!きちんと向き合ってもらえるように」
なんて言われて、びっくりした。
それって、アメリカでも女性だと見くびられるんだ…。

本の学校にか弱い女性だけで行きましたけれど…
(ほぼすべての人に”おとなしそうに見えた”と
第一印象を言われるんです、私。
内面が出ちゃってるってことか…)
私が発言するときは学年主任が背もたれから背中を離し、
姿勢を正したのが印象的でした。
鬼のマナー講師がいれば、きっと
「そもそも他人の話を聞くときに背もたれに
もたれるな!!!」と指導してくれたかと。
管理職相手ならそんな態度で聞かないだろうけれど、
か弱そうなおとなしそうな女性保護者相手には
こういう態度をとるわけね…。
人で態度を変えるって、最低だな、と。
そんな話をロンドンのパルにすると、
"The gloves came off!" (手袋を脱いだのね!)

手袋…いえ、日本はもう初夏で…と違和感を感じて調べたら、
「やったるで!」みたいな喧嘩の始まりらしい。
日本語で言うなら、「腕まくりして…」「表へ出ろ」?
体育館裏への呼び出し?堪忍袋の緒が切れた?
決闘のときに手袋を投げつける、あのイメージからのよう。
大人な対応をしていたのに、もう限界で容赦しないわ!といったときに
使える表現のようで、ぴったりな表現。

立ち上がることを恐れず、
責任を持って多くの人ができない正しいことができる、
あなたはそういう人なのよ、
だから代弁者として学校にも付き添いをお願いされるし、
というロンドンのパルの言葉がとても胸に染みた。
座右の銘を思い出した。

Do what you feel in your heart to be right

-for you'll be criticized anyway. 
                     Eleanor Roosevelt
(あなたの心が正しいと思うことをしなさい、
どちらにしても批判されるのだから。
            エレノア・ルーズベルト