ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

人生の総量


「人生の悲しいことの総量は決まっている」と学生時代、
先生の誰かが言っていた。
「この年になるとわかるのよ」という言葉に妙な説得力があった。
いつしか私も信じるようになり、良いことや幸福が続くと警戒し、
悪いことが起きると、人生の総量の悪いことを消化中かしら、
と思うようになった。

学生時代、不真面目だった夫は
「真面目にしろ!」と先生に言い続けられてきた生徒だったらしい。
どうやら、それも総量が決まっているようで、
いまは私に「頼むから、まじめにして」とお願いする立場になっている。
どうやら、言われ続けたことは言う羽目になるらしい、
という人生の法則も学んだ。
ヘレン・ケラーに”水”を教えたサリバン先生は実在している
一応、形のある”水”を教えて、すごい先生となっているけれど、
私なんて”真面目”という無形なことを夫に教えたんだから!と
鼻息荒くこどもたちに言っている。
夫の先生たちが成し遂げることができなかった”真面目にする”という
概念を教えた!

そんな私もいま、”人生の総量”論をまたひしひしと感じている。
末っ子が4月に数学検定3級を受験する。
過去1年で数学検定5級から3級までとんとんとやってきた。
数学検定4級は中2程度で、真ん中の息子(中2)もしているし、
上の娘が中2のときも数学を見ていたので、問題なかった。
っが、中3の数学からは夫と塾に任せた。
計算問題はできても、応用問題は頭がシャットダウン、
強制終了する。
自慢ではないけれど、高校卒業時に「もう数学はしない!!」と誓った。
大学時代にも「数学をとりたくないから、代わりにとって
単位認定される授業をおしえてください」と学務課に言いに行ったほど。
「そんなに数学嫌いなの?」と呆れられながらも
教えてもらった。

その私が、つまり高校卒業以降、数学をできる限り避けてきたのに
いま末っ子に「数学のここがわからないから、解説を読んで!
一緒に数学をして」と言われる。
私が数学アレルギーだと知りながらの末っ子の嫌がらせ…。

ありがたいことに、頭をひねるような応用問題は
末っ子はさくさくと解き、
”凡ミスだね”とオンラインの先生に言われるような計算ミスを
たまにする。
それでも、ケアレスミスといえば、私!というほどケアレスミスしていた
私が、こどものケアレスミスを「これは惜しいわね!」と言うなんて
特大ブーメランが頭に突き刺さってます。
「こういうちょっとしたミスが命取りなのよ」と小言を言いつつ、
耳が痛い、私の。。。
どうやら私の人生における数学の総量には高校卒業までに
達していなかったのだろうなあ…とあきらめモードで
今日も末っ子に渡された数学の解説を強制終了しそうな頭で読んでいる。