カナダに留学中のスペインのパルから、メールが来た。
「なんで、私たちって、年齢も宗教も出身地も違うのに
こんなに相性がいいのかしら?」と。
彼女は続けてこう書いていた。
「私のほかの仲良しの友達はエジプトのYちゃんにカナダのRちゃん。
あなたも含めて、みんな宗教が違うのよ。」と。
スペインのパルはカトリック、
エジプトのYちゃんはイスラム教、
カナダのRちゃんはユダヤ教で、
一応がつくけれども、私は仏教。
世界の三大宗教揃ってますよ。
相性がいい理由は、やっぱり「誰一人として敬虔な信者じゃないから?」と
冗談を送ると、大変、受けてました。
「寛容な神は3年に1度くらいしか教会に行かない私をも許す。」と
スペインのパルも言っていた。
敬虔な信者とは友達になれない、という意味ではない。
私の中近東のパルたちは、私の数百倍も敬虔な信者です。
でも、彼女たちは自分の信仰を維持することと、
私が”やおよろずの神を信じる”ことは相反しないとわかっている。
お互いの宗教に敬意を表する。
宗教で争うことなんてない、と彼女たちと話していて思う。
子どもたちが熱を出すとアッラーが登場しますが、(お祈りするわ、と)
私が子どもに「罰当たるよ!」と叱るのと同じだろうと思う。
私は彼女たちを仏教に改宗させようと考えたこともないし、
彼女たちも私をイスラム教に改宗させようとしたことはない。
それなのに…連日のように宗教の勧誘が我が家にやってくる。
死後の世界も興味がないし、
天国も地獄も極楽もない!と子どもにも言っている。
じゃあ、死んだ後は?と子どもに聞かれたときは、
「誰も帰ってこないところを見ると、いいところらしいよ~」と
祖母が言っていたように言っている。
イスラム教のパルたちと、「価値観が合うわ~」とか「わかる~!」と
理解しあえるというのに、同じ日本語を話し、日本で生活し、
仏教から派生したであろう宗教の人たちと理解しあえない不思議さ。
足りないのはあちらの私の価値観を尊重しようという寛容さか
私が相手の勧誘ノルマを思いやってあげる優しさか。