ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

専業主婦の覚悟

ネットでふと読んだ小島慶子さんのエッセイに胸がズキュンときた。

専業主婦の覚悟

(クリックしたら、読めます)

専業主婦っていうのは、三食昼寝付きで楽そうね~、

掃除が完璧なんでしょ~と思ってたけれど、専業主婦も大変だ、

なんていうレベルの話ではない。

一馬力(夫の収入に頼る)ってことは、どういう覚悟がいるかってこと。

私はライフプランやマネープランと一緒に、

夫が○才で亡くなったときのプランまで空想の世界で綿密に立てている。

例えば、一番上の子どもが高校生以下なら即、家を売って

故郷の県に帰る。

このとき、重要なのは、実家に近すぎないところで、

帰省するときにいつも通り、私も詳しい○○町が田舎で、運転もしやすそうでいいと思う、

と夫と相談するくらい。

もしくは、年の差を生かして、途中で働き蜂を交代しない?と提案することもある。

もちろん、隙あらば!!と働く気もある。

女性のライフプラン、結婚後も働くことについて、などは私の世代より後に

より熱心に大学などでも講義や講演会が行われている。

その思想は素晴らしいとは思いつつ、なんだか嫌な気分になるのは私が現在、

専業主婦でなんだか社会貢献してないように思わされている気がするから?

人生設計の多様性について語るべきであって、

いかに結婚、出産後の女性を働かせるか、になっているように感じるのも嫌だ。

男性が専業主夫するというプランなんて、きっと一言も語られない。

でも、結婚も子育ても女性一人ではできないから、男性の意識改革も必要なのに。

キャリアプランニングと聞くだけで、”負け組”気分になるけれども、

私の友人というには、立派になりすぎた知人は素晴らしいキャリアと

「おぉ~!」と言いたくなるような肩書きをいまや持っているけれど、

「45過ぎて、いまだにシングル、子なし、”負け組”。」と謙遜する。

いや、それは”負け組”じゃないでしょ!!と思うけれど、

彼女には私は”王道”を歩いているように見えるのだろう。

彼女の歩いている道は、私が歩きたかった道でもあったけれども。

専業主婦論争になると、女の敵は女になって、

経済的云々だとか、将来が云々だとか、社会貢献がどうだたらとか税金が云々だとか、

とかく私は冷静ではいられない。

それはきっと、”専業主婦の覚悟”が私にはないし、

「これは一時の姿…」と思っている私がいるからなのだろう。

日本にはきっと私と同じような専業主婦がわんさかいる!と思うのだけれども、

アメリカの専業主婦のパルたちは本当に専業主婦を”謳歌”しているし、

自信を持っている。”専業主婦であることに誇りを持っているわ”と、本当によく聞く。

私にはやっぱり各種”覚悟”が足りないのかも。

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