私が海外文通をしているからか、
「こどもにも英語教育してる?」とよく聞かれるけれど、
全くしてません!
英語しゃべってみて?とこないだ末っ子に言ったら
「Hola!」(オラ:スペイン語のこんにちは)と言われた。
スペインのお姉ちゃんと仲良しなので。
子どもたちが学校で習った英語をちょろっとしゃべっても
ふ~んとしか思わないけれど、
この前、お菓子をほしいと駄々をこねていた末っ子に
小1の息子が「お菓子を 買ってくれろと 泣く子かな」と言った。
元歌は小林一茶の(名月を とってくれろと 泣く子かな)で、
私が一時期、ハマっていた俳句の暗記、まだ覚えていたのか~と
感心したら、小3の娘が「俳句には季語がいるんやで。」と
厳しい指摘をしていた。
○○くんは、英語ぺらぺらなんやで~と娘に言われても、
ふ~ん以上の感想はでてこないけれど、
俳句が素養にあるほうが、断然、日本人としてかっこいいじゃん!と
正直、私は思う。
小さいうちから英語!英語!とよく聞くし、
小3の娘も同じように「英語を勉強しなくちゃ!」と
よくわからない強迫観念かのように言っているけれど、
それで、あなたは英語で何を話すの?語るだけのものがあるの?と聞く。
まずは、母語の日本語が大切だと私は日頃から思っている。
「っで、何をすればいいの?」と聞く子どもたちに、
読書!と言っている。
今朝の読売新聞朝刊の”論点”で、ノーベル化学賞受賞者の白川英樹氏が
同じことを主張している。文系だけではなく、理系でも
考えることは同じなのね~と変に感心した。
要約すると、
外国の記者から、「アジアでなぜ日本人のノーベル賞受賞者が多いのか?」
という質問を受けて考えたけれど、
「日本では日本語で書かれた教科書を使い、
日本語で学んでいるからではないか」と答えた。
日本人の母国語である日本語で表現できなければ、
英語などの外国語できちんと科学を理解したり表現できたりするはずがない。
日本語で論理的に考えられない人は英語でも論理的に考えられないだろう。
ただし、英語はコミュニケーションの道具として必要であり、
学ばなくてよいという意味ではない、とも付け加えられている。
なんて単純明快、でも、私もまさしくそう思う。
日本語で表現できないことを外国語では無理。
実体験のない言葉を発することも無理。
さみしいのも物悲しいのも切ないのも、全部体験して血肉となってこそ。
それにしても、理系の人が日本語のことをそんな風に
とらえていたとは、とちょっと意外だった。
大学のときの言語学の教授に報告したくなったけれど
きっとあの教授なら、この記事も読んでいるに違いない。