ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

「そこに選択はあるのか?」

「そこに愛はあるのか?」というCMコピーがあるけれど
この頃よく思う、「そこに選択の自由はあったのか?」と。

中学校の部活動の話。
知り合いの高校の先生は土日も部活動の生徒たちを試合会場に送迎する、
なんていう話を聞いたのは数年前。いまはどうなのかはわからない。
我が家のこどもの通う公立中学校は先生の送迎はない。
先月の校区外の練習試合にはほぼすべての生徒が親の送迎がある中、
ただ一人、自転車で往復した生徒がいたという。
車でも30分近くかかる距離を、一人で?
親が仕事で送迎はできず、その日だけスマホを所持していいかと
学校に連絡すると、不可だったらしい。
スマホもなく、たった一人で、車で30分の距離を自転車?
しかも校区外?
それは、なんだかいろいろと問題がないか?

別の部活動ではタクシーでの移動をしていたけれど、
金銭的に苦しい(田舎なので練習試合場所までが遠いから?)
という保護者のクレームがでて、
結局は親が当番制で送迎になったらしい。

どちらのケースも部活動の限界が見える気がする。
顧問の先生に送迎をしてほしいとは思わないけれど、
中学生が公共交通機関を使って行くことができない場所は
果たして練習試合場所として適切なのか?と思う。
「タクシー代も払えないなら、その部活を選ばなければいいのに」
という声も聞いた。
私立中学校ではなく、公立中学校で、
マンモス校でもなく、どちらかといえば小規模校。
あまたある部活動の中からの選択、
ではなく、数えるほどしかない中で、選択した部活動。
「そこに選択の余地はあったのか?」と思うし、
そもそも公立中学校=そこの地域に住んでいるこども、なわけで
中学校の選択すらできなかった中で、どこまで”選択責任”を
追及するのか、と思う。
同じ市の公立中学校でも部活動の種類からなにから
いーっろいろと違いがあることを知ると、
これは本当に”教育機会の平等”ではないと知った、
のは公立中学校に入ってから。

そして、なによりこの頃、恐ろしいなと思うことは経済格差。
タクシー代を苦しいと思う保護者、
タクシー代くらい微々たるものだと思う保護者。
「タクシー代がきついなら、あの部活を選ばなければよかったのに」
なんていう話を聞き、つい
「タクシー代がかかりますなんていう部活動説明はなかったし、
数少ない運動部の中で選択の余地もあまりなかったよね。」と
言ってしまったよ…。

中学校の部活動は3年続けることが大原則みたいになっていることも
保護者と生徒を苦しめる要因だと思う。
競技が思っていたのと違うこともあるし、
人間関係がいまひとつなこともある。
そんなの入ってから気づくしかないんだから、
いまいちだったらチェンジで!!と私は思うけれど
「石の上にも三年」と思っている人は多い。
3年無駄に耐えている間にもっと適した競技をする機会を
失っているかもしれないのに。
3年続ければ、どの部活動でも上達するよ!とも聞いたけれど、
嫌々でも?
ストレス抱えながらでも?
そこに意味はあるのか?
しかも、顧問もその競技の素人である先生のことが多いのに?
ついでに付け加えると、部活動のトラブルやストレスで
不登校になった話、すごくよく聞くけれど…。
学校生活のメインは部活動ではないのに、
その部活動がストレスで学校に登校できないって、
本末転倒では?と思ったりする。
部活動の根が深い上に、昨今の経済格差を感じて
機会の平等って?
結果の平等って何?
部活動の意義はそもそも何だったの?と文部科学省
スポーツ庁ガイドラインまで熟読。
先生たち、もう一回、ガイドライン読んだ方がいいよ、と思った。