ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『才能はみだしっ子の育て方』

年末年始、ゆっくりと本を読んでいる。
世界ギフテッド&タレンティッド・チルドレン協議会日本代表
という立派な肩書を持つ著者。
★3つ…というくらいに発見がない本だった。

才能はみだしっ子の育て方

例えば、学校へ行きたくないというこどもには、
「学習内容について、どんなことができるか
学校と相談してみる」と。
そんな理解のある学校、どこにあるかリストアップしてほしい…
と思うのは私だけ?
とりあえず、それは公立ではないよなぁ…。

知っている情報が多い中で意外だったことは2つ。
北欧のギフテッド教育が想像とは違い、あまり進んでいない?
受け入れられていないということ。
もっと個人主義的な国かと思っていたけれど、
意外にも?「優れた教養をもった人はそれを自慢してはいけない」
というヤンテの掟という社会常識があるということ。
初耳だったのでスイスのパルにでもまた聞いてみたい。

そして、ニュージーランドのギフテッド教育がIQやテストによる
選出ではなく保護者、教員、友人、本人の推薦によって
その資格を得られるということ。
テストやルールをつくると、必ずその枠には入らない、
こぼれてしまう人がでてくる。そういう人を作らないって
すてきだなと思った。
その一方で、「卒業後は追わない」という姿勢には疑問も。
著者は卒業後の進路を追わないことで、学校に通っている間は
支援をするけれど、卒業後は自由に生きたらいいという
優秀なこどもを作り出すことを目的にしていないことに
感銘を受けているよう。
聞こえはいいけれど…その教育が成功だったか、失敗だったかは
生徒が学校に通っている間だけでわかるものではない気がする。
なにをもって成功とみなすかはむずかしいところではあるけれど、
検証を行わないって、日本の教育業界でもよくあること。

例えば、花子の中学校は定期テストのたびに計画表を
生徒たちに作らせたり、自習ノートをさせる。
PDCAという立派な大義名分で。
Plan(計画)→ Do(実行)→ Check(評価)→ Act(改善)
生徒たちにはPDCAをさせるけれど、
先生たちはPDCAしないのか?と。
効果がないことをいつまでするんだろう…と思うことが少々…
というより多々…。

この本で最も重要なことは、
「ギフテッド教育の世界基準はまだない」に尽きる。

本書ではタイトルにある”育て方”の提案までは至ってない気がする。