ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

考える

数週間前、突然、中学生の太郎が言った。
発展途上国の〇〇(国名)に鉛筆を送る活動を生徒会がするから
鉛筆の寄付をしたい。」と。
こういうとき、ほかの保護者はどうするんだろう。
「はい、どうぞ~」と渡すのかしら。

私はつい聞いた。
「なんで、〇〇?なんで鉛筆?」
太郎は私が「なんで鉛筆?」と聞いたことを
鉛筆をけちって寄付したくないと思ったようで、
「使いかけの鉛筆やノートでもいいから、文具を寄付するって。」と
言い出した。

・・・使いかけ?
短くなった鉛筆を先進国の日本の裕福?な生徒たちが
発展途上国のこどもたちに寄付するって?
それ、失礼過ぎない?
貧乏なこどもたちなら使いかけの鉛筆でも喜ぶだろうって?
それ、本気でそう思っているの?
聞いていて悲しくなったのは私だけか?

夫は「ちょっと失礼な気がするけれど、何かをしたいと
思う中学生の気持ちはいいことだと思う。
ただ、鉛筆1本、ノート1冊でも送料がかかるけれど
その送料は?鉛筆数ダース送る送料を考えたら
その国で鉛筆を買うほうが日本から送る数倍鉛筆が買えるけれど
そこはどうなの?」と太郎に聞いた。

「日本の文具は高品質だから喜ばれるに違いない。」と
太郎は言う。
いやいや、その国でモノを買えば、その国の工場も喜ぶし、
そこで働いている人も喜ぶ、量も多く買えてこどもたちも喜ぶ。
寧ろ、日本から送るメリットを聞きたい、と
私と夫にいろいろと突っ込まれ、
「募金をしろってこと?」と中学生の太郎は言い出した。

いや、その安直な発想もよくない。
中学生がたくさん募金できないし、それはそもそも親のお金。
中学生として何ができるか、有り余るお金はなくても
有り余る時間がある中学生なら、もうちょっと自分の頭で考えたら?
それこそが中学生にできることなのでは?と太郎に言った。
使いかけの鉛筆はもちろん新品の鉛筆も持たせなかった。
発展途上国がたくさんある中で、なぜいまその国なのかもわからず
本当にその国が”使いかけの文具”を希望しているのかもわからず
ただのごみになるかもしれないものを送料かけて送るなんて
そんな無駄遣いは無理、もっと親を説得できる情報がいる、と
太郎に伝えた。

付け加えるなら、貧しいこどもたちは海外だけの話ではない。
日本にも夏休み明けには体重減少しているこどもたちが増えている。
(夏休み中は給食がないため)
なぜ海外のその国限定?貧しい国はたくさんあるし、
日本にも貧しいこどもたちがいるのに?

中学校で開発途上国への教育支援をしているNGOの講演会があり、
そのときに文具の寄付をと生徒会が考えたことだった、と
講演会後に太郎を通じて知る。

講師は大企業で働き、家も車もありとあらゆるものを手にし、
旅行先の国の教育や貧富の差に衝撃を受けたらしい。
「講師の先生は、まずは夢を一生懸命に追いかけ、
余裕ができたら周囲を見渡してみてほしい、と
話していた。
使いかけの文具の寄付とか浅いことは一言も言ってなかった。」
というのが太郎の講評。

中古を発展途上国へ、発展途上国なら中古品でも
使いかけでも喜ぶだろう、そういう姿勢は同じ人間に
失礼すぎるよ、と太郎に切々と語った。
高1の花子が小学校を卒業するとき、「古いランドセルを寄付しよう」
と担任の先生が言った、と花子が言った時も
「花子がボロボロにしたランドセルは誰かにあげれるレベルではない。
日本の友人に送れない、そのレベルのものを
海外の発展途上国のこたちなら喜ぶだろうという上から目線の
援助って、失礼だと思わない?」と花子にも話した。

新しい服を買いたい金額で、
欲しい本を買おうと思っていた金額分、買うつもりのアイス分、
そんな気持ちが中学生には相応だと思う。