ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

学校評価アンケート

最近は学校評価アンケートというものがあって、
多分、各学校で作成者が違うのだろうと思われる。
この学校評価アンケートは記名式で、
誰が正直な回答をするんだろうか、と思うことがある。
学校にどの生徒の保護者が学校評価の平均値を下げている、
って思われることを気にせず書ける保護者はなかなかいないだろう。
当たり障りなく回答するのが一般的…だと思うけれど、
私は今年は放置している。
正直者なので嘘をつけない。

回答が4択。
「そう思う」「ややそう思う」
「あまりそう思わない」「全くそう思わない」

質問にこの4択で答えるのは厳しい。
例えば、「学校はいじめに対してきちんと対応できていると
思いますか?」
・・・逆に聞きたい。
何を根拠にその質問ができるのかを。
市内の中学校の不登校生徒率の平均値もなかなか高いけれど
その中でもこの中学校は平均を上回ってませんか?
実情を鑑みると「全くそう思わない」だけれど、
学校のことをこどもたちから聞かず、
市の情報もチェックしていなければ「そう思う」になる…?

「学校HPや各種通信などを通して学校の指導方針や
取り組みがよくわかるか?」
月1回の学年通信と2月で”No.6”の学級通信で
学校の指導方針や取り組みがわかるか?
いや、もうそれですべてがわかるなら超能力者でいいのでは?
しかも5割は月間スケジュールで、
3割は先生のお言葉(TVや本で感銘を受けた言葉について)
残りの2割に学校の取り組み…書かれてました?
この学年通信で「そう思う」にチェックを入れろと?
えっ?回答できるの?
情報これだけで判断するの?

「学校生活の様子はお子さんを通してよくわかりますか?」
先生、見られてますよ…すごく。
スキー実習で、〇〇先生が夜にナイター滑りに行った、とか
3分遅刻しただけで、「他人の3分をもっと大切にしろ!」と
怒った先生が、
校外学習におけるバスでの30分を「30分くらい」と言ったとか。
「3分にあれだけ怒って30分はどうでもいい?
算数できないのか?納得できん!!」と末っ子は憤慨していた。
「あいさつを大きい声で!」と日ごろ言う先生が
参観日には保護者がいたのに挨拶しなかったとか…。
(あいさつしたのに返さないなんて、感じの悪い保護者ね~と
思ったら、「あれ、先生…」と息子に言われた。)

しかも最後に「自由記述があれば」(建設的なご意見を)と。
”建設的なご意見を”って、なに?と、つい”建設的”を
辞書で調べてしまったよ。
建設的=ものごとをよくしていこうとする積極的な様子、らしい。
いや、建設的の意味は知っているけれど、
こういうところでお目にかかることがないもので驚いた。
アンケートの自由記述欄に無記名でも書いてくれる人っていうのは
そもそもよくしようと思っている人に入ると私は思う。
どうでもいい人や無関心な人は書かないだろうし、
感情的に怒りに任せた愚痴満載のメッセージが書かれていても
それを書いてもらえることで気づけた!と思うものだと
思っていたのだけれど…。
しかも、中学校の記名式アンケートの自由記述欄に書く人って
すごく気を遣って書く。オブラートに過剰包装くらいで。
そもそも”建設的なご意見を”って、他者に求めるって
なんだか”厚かましい!”と思ってしまう…。

「お気づきのことがあればお知らせください」とか
「忌憚のないご意見をお待ちしています」と書いてあれば
受け止める気があるのだな、と思う。
(実際、どういう対応するかは藪の中だけれど)

今年度は誰が作成しているのか学年通信の表現も各種、
微妙な文章が散見され…「会議を持ちます」とか。
会議をもつ?
会議は”する”か、会議がある、ではないのか?と
また辞書を調べたり…。
(”会議を持つ”は国語辞典にはない。新語??)

正直にアンケートに答えるなら…と中学生組の息子たちに
アンケートへの回答や自由記述に書くならこんな感じ…と話すと、
「よし!母さん!書く必要はない!放っておいて!」と
言われた。
いや、書いてもいいのよ。私は良いのだけれど…
「頼むから、放置して。」と息子たちに懇願されたので
我が家は放置で。
こうやって集められた学校評価のアンケート結果、
全く参考にもならないと思う。