ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

フローレンス

大型のハリケーン、フローレンスが接近中でノースカロライナ州サウスカロライナ州
バージニア州の3州に避難命令などが出されている。

www.sankei.com

サウスカロライナ州にもバージニア州にも仲良しのパルがいる!!と
二人にメールで「避難するの?」と聞いてみた。
サウスカロライナ州のパルは前にキャンピングカーを買い、
ハリケーンが来たらキャンピングカーで一家で避難する!と言っていたので
今回も車で移動するのかしら?と。

そのキャンピングカーは私も驚く激安価格だったけれど、
楽しんで修理をしていたのは最初の数か月で、修理代が高くついてだめだ!と
結局はまた売った…。あぁ、それって日本では安物買いの銭失いって
いうのよ、と言いそうになった。
”Penny wise and pound foolish"と英語でも同じ意味のことわざがあった。

サウスカロライナ州の30代のパルはジョージア州の夫の両親の家に避難しようかと
家族会議中らしい。
でも、そのためには犬と猫を連れて、そのペットフードも車に乗せて
ついでにベッドシーツも私は自分の家から持っていきたいし、
食料に息子くんのお気に入りの本に…とあまりにも準備が大変で
どうする?と悩んでいるらしい。
・・・必要最低限のものをもってさっさと避難しなさーいと私は思ってしまったけれど
彼女のメールに添付されていた画像はこれ。

f:id:bitter-chocolate3:20180913081321j:plain

南部だ、まさにアメリカ南部!!と思ってしまった。

 

一方、バージニア州のパルは50代なので、落ち着いていて
我が家は高台にあるし、娘ちゃんの大学も丘の上。
数日間、大雨で身動きできなくてもいいように買い物には行った程度。
あと、出張中の夫がフロリダ州から飛行機で帰ってこれるかどうか…と
こちらはとても穏やかだった。
バージニアのパルが住んでいる地域はバージニア州でも
必須の避難命令がでている場所ではない、ということもあるのかもしれないけれど。
それでも停電に備えて、水道ストップに備えて、と各種、備蓄したらしい。

ハリケーンと台風、名前は違うけれど、同じ事象を指す。
名前の違いは発生場所によるもの…のハズなのに
ハリケーン フローレンスは最大雨量1000mmだとか数日間留まるとか
なんだか規模も桁違い。
フローレンスってかわいい名前ついているのに…。
そういえば、台風も女性の名前のほうが激しいというけれど、
ハリケーンも同じなのかも。
私が知っているハリケーンカトリーナのみだけれど。
フローレンスはおとなしく通りすぎますように。

 

にほんブログ村 その他生活ブログ 手紙・はがきへ
にほんブログ村

怒りから受容へ

家族を亡くした人が通る段階があるらしい。
グリーフケア”の段階として有名。
この段階は通り越したり、一つに長くとどまったりするらしい。

最初に否認。
「死んだなんて信じられない!」
まだ生きている気がする、と。

次に怒り。
自分へだったり、家族へだったり…。
それから、取引→抑うつ→受容へとすすむらしい。

私は今、「怒り」の段階なのだと思う。
「家族のみんなが祖父がなくなったことを
私のように悲しんでくれない!」と怒っている。
祖父の亡くなった日、時間差で妹が子どもを産んだので
お通夜もお葬式もその話題でもちきり。
高齢でほぼ老衰と呼べる祖父の死は不幸な死ではなかったけれど
それでもいなくなって、こんなに寂しいと思うのは私だけなの?!と
ずっと私一人怒っている。

そして、せっせと手紙を書いている。
ロンドンのパル、コロラドのパル、カナダのパル、チェコのパル、
「聞いて…私の祖父が亡くなったんだけれどね…」とながーい手紙を。
「あなたならどうする?」という問いかけもなにもなく、
ただただ聞いてほしいの!という手紙。
なので、この手紙は特に親しいパル限定。

ロンドンのパルには「手紙を書いて投函したけれど、
よいニュースではない。」と投函してから予告。
「どうしたの?」と聞かれ、
「祖父が亡くなって、まだ全く心の整理がつかなくて
手紙に書いた。」と伝えると、
「少しは書くことで整理できた?」と聞かれた。
「いいえ、全く!!」と鼻息荒く言ったけれど、
ふと気づいた。
かなり癒されているかもしれない。

家の中でずっと流れている高橋真梨子のCDを聴きながら
泣き出してしまうことも減った。
「お母さんがこどものとき、どんなおじいちゃんだったの?」と
こどもたちに聞かれても笑いながら話せるようになった。

手先が器用で木工作品を作るのが得意で、小学校の夏休みの木工作品は
いつもおじいちゃんに作ってもらっていた。
木で作った市販品ではないオリジナル貯金箱、
水鉄砲、竹とんぼ、そうめん流しセットに凧。
どれもこれも緻密で完璧な作品で…とても小学生の完成度ではなかった!
毎年、「おじいちゃん、小学生らしいのを作ってよ!」と注文していたっけ。
こどもたちに、
「えぇ?結局、夏休みの宿題はおじいちゃんにしてもらってたの?
家庭科の宿題はおばあちゃんにしてもらってたし…
宿題、ちゃんとやってなかったの?」とバレた。

私がせっせと書いた”怒り”段階の手紙は2週間ほどかけて海を渡り、
海外のパルたちのもとへ着き、
そして彼女たちからの返事が届くころにはきっと
”受容”できているんだろうと思う。

にほんブログ村 その他生活ブログ 手紙・はがきへ
にほんブログ村

メモ帳

祖父が亡くなってまだ数日しか経ってない。
もう泣きすぎて疲れた…というレベルに達し、
すべてエコモードで活動中。
そんな中、久しぶりに雷を落としてしまった。
小6の花子に。

花子はとにかく忘れ物がひどくて、小学校2年生のとき、
「ランドセルに宿題を入れたまま提出しない」と
担任の先生からお叱りの電話を受けた。
4年生の時、98点以下を取らなかった理科で、
「忘れ物が多い」という理由で「2」(3段階の)をとったこともある。
98点以下をテストで取らなかったのに?!と絶句したり、
そんなに忘れ物したのか…と納得してしまったり。
(その評価はおかしいと現役の小学校教諭ママに言われたけれど)
正直、花子は学校で授業をほとんど聞いていないと思う。
それでも勉強ができるので、何度かADHDか?なにかの障害かと
疑ったこともあるけれど、セルフチェックでは問題なし。

今日、作品展を見に小学校へ行った。
新学期が始まって学校へもっていくものがたくさんあるこどもたち、
「これをついでに持ってきて!」と
お道具箱やら算数セットやら絵具セットやらも頼まれた。
「わかった!10時に小学校へ行くから、各自の下駄箱の上に置いておくよ」と
こどもたちに伝えた。
我が家には6年の花子、4年の太郎、2年の次郎がいる。

帰宅後、太郎が「お母さん、ありがとう!」と言い、
次郎も「助かった~」と言った。
花子は「なんのこと?」と聞くので、下駄箱の上に置いていたでしょ?と
話すと、
「あぁ!!」と思い出したらしい。
そのとき初めて…。
太郎は10時過ぎて最初の休憩で下駄箱にとりに行き、
次郎は体育が終わって帰ったら
下駄箱の上にあったから教室へ持って行ったという。
花子も体育はあったはずなのに、すーっかり忘れて、
帰るときにすら下駄箱の上に気づかず…「いい加減にしなさいよ!!」と
雷を落としてしまった。

セルフチェックでも9割、ADHDとでる夫、
「これはもう性格だから仕方がない、怒っても直らない。
対策を考えよう!」と言っていた。
偉そうに言う夫の対策は「めいさん、今日の僕の予定はなんだったっけ?」と
何度も私に電話してくること。
「花子は小学生で携帯電話を持てないのがつらいところやな」と
夫は本気で言っていて、私は頭を抱えてしまった。

なにか対策をとらなければ!!と危機感をさすがに抱き、
週末に小さなメモ帳でも買い、
とにかくメモ!すべてメモ!メモを見るんだ!作戦でもやってみようかと。
「それ、無駄やで。そのメモ帳をなくすんや!」と
自慢げに失敗談を夫が教えてくれたので、
5つ6つメモ帳を買わなければ。
「忘れ物も自分で痛い目に遭ったらしなくなる」というアレ、
それが有効な人もいるだろうけれど、
効果がない人もいる。。。

幽霊に会ったら

一昨日の台風のことは世界でも大きく報道されていたようで、
フランス、香港、カナダ、アメリカ、スペインと各国のパルたちが
「メイの家は大丈夫なの?」と心配のメールをくれた。
”地図で暴風圏を確認したけれど、日本は小さいし、
日本地図の中でもあなたの県は小さいし…”と、
ええ、その上、我が家は小さいし古いですから。
今回の台風は我が家の地域は大丈夫だったらしいけれど、
大阪の被害にニュースで驚いた。
そしていまは北海道の地震に絶句している。

アメリカのサウスカロライナ州のパルが台風の影響について
メールしてくれた。
忙しくて「我が家は大丈夫」とだけ返信したパルもいるけれど、
サウスカロライナのパルには「両親よりも長く過ごした祖父が亡くなって
小学生に戻った気分で涙が止まらない」と返信した。

If you need an adult to vent to
you can always email me. I'm here to listen and
I know sometimes family isn't the best for that.
(あなたが誰か大人に発散させたいときはいつでもメールして、
いつでも聞くわ、
家族って、こういうとき良い相手ではないって知っているから)

とメールをくれたので、それでは遠慮なく…と返信。
正直、こんなに寂しく思うなんて思わなかったし、
病院で長く苦しむことなく、よかったね~と思いつつ、
いままであまりにも長く私の人生の中にいたから
喪失感が大きすぎて対処できない。
お昼だけれど、おじいちゃんはどうしているかしら?
いま電話したらまた昼寝中かな?
そろそろヘルパーさん来たかな?と、つい時計を見て、
そうか、もうおじいちゃんはいないのかと気づく、の繰り返し、

サウスカロライナのパルは私のお葬式の選曲が気に入ったようで、
「私が先に死んだら、私のお葬式の計画はメイに任せる!」と。
…私より6つ若いのに私より先に亡くなる?
逆だって、逆!

My heart bleeds for you.(心の底から同情するわ)と
サウスカロライナのパルが書いていた。
実は、祖父の亡くなった日、祖父の4人目のひ孫が生まれた。
「生まれ変わり?!」と親戚一同が言っていたけれど…
私の祖父は結構な遊び人でして、
今頃はボーリングにゴルフに野球観戦にと大忙しで
間違ってもすぐに生まれ変わって人生を始めようなんていうことは
ないような気がする。

祖父宅から自宅へ帰る途中、夜に幽霊目撃情報多発の峠を通った。
夫も夜中に着物を着た女性を目撃して以来、
夜中には絶対に通らない!という峠道。
「もし、幽霊が見えたらどうする?」と花子に聞かれた。
車を停めて聞くね!
「うちの祖父を知りません?新人幽霊なりたてで道に迷っているかもしれないから
ボーリング場まで案内してあげてくれません?
うちの祖母も知ってます?もう膝は痛がってませんか?
いまはどんなことをして楽しんでますか?
たまには孫の夢の中にでも出てきてって伝えてもらえますか?」と
言いたいことも聞きたいこともたくさん。
子どものころ、祖母が「幽霊は怖くない。会いたい人がたくさんいる。
聞きたいこともたくさんある。」と言っていた。
私の祖父母もすべて他界してしまった今、
私も幽霊に会ったら、聞きたいことたくさん、
言いたいこともたくさん。

にほんブログ村 その他生活ブログ 手紙・はがきへ
にほんブログ村

お葬式

祖父のお葬式も無事に終わった。
祖母の死から1年も絶たずに祖父が亡くなり、
親戚たちが「おばあさんが呼んだんだね」とか
「おじいさんもさみしくなったんだろうね」と言っていた。
いやいや、そういう仲良し夫婦ではなかったから!と心の中で
つい突っ込んでしまった。
祖母の死は祖父に自分の年齢を感じさせる出来事だったのかもしれない、
とは思う。

お通夜で祖父の好きだった高橋真梨子のアルバムを持参したところ
葬儀社の人に一曲リピートはできないけれど、アルバムすべてなら
かけることができますといわれ、
選びに選んだ一枚。
お通夜開始5分前、まさかの桃色吐息が流れた。

お葬式は祖父の好きだったビートルズ…と思っていたら
ジョン・レノンのアルバムもあったので、ジョン・レノン

 

決定盤 ジョン・レノン~ワーキング・クラス・ヒーロー~

決定盤 ジョン・レノン~ワーキング・クラス・ヒーロー~

 

 


棺に花を入れるとき、流れた曲はイマジンだった。
「今度はタイミングよかったね!」と親戚たちから言われた。

1年以内に祖母のお葬式を同じ系列の葬儀社でしたので、
スケジュールも段取りも完璧!のハズなのに、
「お孫さんたちでお手紙でも書いてあげてください」と折り鳩を
渡される。
・・・これなに???と混乱していると、
「お葬式は地域性があるからね~」と他県からきた親戚に言われる。
いやいや、一年以内に同じ葬儀社の別支店でした祖母のお葬式のときには
なかったですけれど?と、つい葬儀社の人に確認すると、
「3か月前に導入しました!愛知県の業者が営業にきて…」と
教えてくれた。
和紙のような紙にメッセージを書き、鳩を折る。
「紙は形状記憶になっているので、簡単に元のように折れます」と
いわれたのに、あれ?鳩にならない!あれ?と悪戦苦闘した。

祖父母の家で祖父母の遺影が並んだ。
二人とも20年前の写真で、見ていると私まで20年前の小学生の気分になり、
遺影の前に座るたびに次々と後悔と涙が押し寄せてきた。
こどもたちと祖父の家を片づけたり掃除をし、
ちょっと休憩…と思うと、つい「おじいちゃん、コーヒーはいる?」と
聞きそうになる。
帰る時も「また来るわー!!」といつものように大声で言って帰ってきた。

祖母のお葬式の後はこどもたちに「お母さんは棺に何を入れてほしい?」と
聞かれたけれど、祖父のお葬式の後は「どんな曲を流す?」と
お通夜やお葬式で流す曲のリクエストを聞かれた。
「こどもたちのピアノ生演奏!発表会で弾いた曲メドレー!」と
リクエストしたら、「…去年の曲、すでに弾けない」と三人とも青くなっていた。
私のお葬式はモーツアルトにベートーベンにハイドンソナタ
素敵だわ~と想像したら、
花子に「ピアノ弾かないといけないのなら弔問客来ても
放置でピアノ練習することになるよ。」と言われた。
望むところです!
弔問客も花もいらない、こどもたちのピアノ演奏に見送られるって
素敵なお葬式だわ。

www.youtube.com祖父の家にいる間中、かけていた高橋真梨子
カセットやMDに祖父のベスト高橋真梨子アルバムをよく祖父は作っていた。
いつも入っていたのは五番街のマリー、ジョニーへの伝言だった。
いま、花子たちが五番街のマリーを歌っている。

にほんブログ村 その他生活ブログ 手紙・はがきへ
にほんブログ村

台風と

祖父が亡くなったと父からメールがあった。

学校へ行きかけていたこどもたちにストップをかけ、

お通夜やお葬式へ行く準備をした。

祖父のお通夜会場には父の言葉から葬儀社の人が作った生前の祖父の紹介があった。

 

妻を愛し、スポーツを愛し、海外旅行は東南アジアを好んだ、と。

わが家のこどもたち、「誰のこと?」と笑っていた。妻を愛し…というほど祖母とも仲良しでもなかったっけ。多分、迎えには来てくれてないだろうとお通夜で言い合った。

 

私にとっての祖父は、とても新しい人だった。親戚の中でも女子が遠くの大学にいったことはなく、そのことへの批判の声が私の耳に入った 。祖父に話すと「タリバンか!!」と笑った。教育は荷にならないと語った。

 

新しい音楽も大好きで、洋楽もよく聴いていた。祖父のお通夜には祖父の好きだった高橋真梨子のアルバムを持参し、流してもらった。祖父の運転する車では必ず流れていた。お通夜に桃色吐息が流れて笑ってしまったけれど、参列した人が口々に高橋真梨子が好きだったよねーと祖父を思い出した。お葬式はこれまた大量にCDがあったビートルズを流す予定。「おじいちゃんは夏はハワイアンだったよ」と毎年夏にはハワイアンを大音量で聴いていた曽祖父をわが家のこどもたちは言い、一緒にハワイアンのCDをいくつか聞いたけれど、さすがにお葬式には…という結論に小学生が至っていた。意外に常識的な判断にびっくり。

入院していたとき、お見舞いにきてくれた親戚に「痛いんじゃ!!」と一喝したらしい。

「若いときの気性の激しさが戻っていて、

これはまだまだ元気だわ。」と思ったのに、

と言う祖父の弟の発言に私一人驚いた。

祖父はいつも「めいさん」とさんづけで私を呼んだ。いつも穏やかだったけれど、

ここ1年ほどは初期の認知症だったろうと思う、

感情の起伏が激しかった。

それでも常に私を「めいさん」と呼んでいた。

最後の最後まで在宅を望み、デイケアショートステイも「年寄りとは違う」と拒んだ。

92歳より上の年寄りは滅多にデイケアにいないと思うよと祖父にみんなで言ってよく笑った。「年寄り扱いするな」とよく言い、

近所の人を「あそこのじいさん」と呼ぶ。

祖父が"じいさん"と呼ぶ人のほうが祖父より5つ6つ若かったけれど…。

台風の中、お葬式は決行される!

 

首が回らない

三日前に寝違えた。
寝違えた…明日には治っているかしら?と思って寝た翌日、
首どころか肩まで痛くなっていた!
もう何をしても痛い。
座っていても痛い、寝ていても痛い。
そもそも寝返りを打っただけで痛くて夜中に何度も目が覚める。
湿布を貼って、翌日に期待!と寝ようとしたら
どの姿勢にしようと、枕の高さを調整しようと痛くて眠れない。
鎮痛剤を飲んで眠ることにした。
その翌日、起きたら手がしびれている。
首、肩、手のしびれ、どれも寝違えて動かすと痛い左側。
これ、どうなってるの?と整形外科を受診した。

レントゲン撮影をして、「流行りのストレートネックですね」と
タートルネック”と同じように淡々と言われる。
70代の整形外科医が言う流行のストレートネックって何?と
帰ってから検索すると、パソコンやスマホのやりすぎで、
首の骨が曲がっている状態のことを指すようで
ドライアイと同じ現代病らしい。
「まぁ、言うなれば”お行儀の悪い首”です」とも言われたけれど…
私がパソコンのやりすぎでストレートネックになったってことでしょうか?と
医師に確認すると、
「元からでしょう」と。
どうやら、元から”行儀の悪い首”らしい。。。

「こう押すとどうですか?」と各種、指圧され、
とーっても痛かった!
「今でこれだけ痛いなら、痛かったでしょうねー」と言われました。
痛かった!というより、まだ痛いんです!

そして出された薬は炎症を抑える薬、鎮痛剤、胃薬、湿布…
日にち薬か。
あまりにも痛すぎて「四十肩きたかもしれない。腕上がらない。首回らない」と
ママ友たちに本人は至って真剣に相談したのに笑われた。
自分の首のレントゲン、初めて見たわ。

にほんブログ村 その他生活ブログ 手紙・はがきへ
にほんブログ村