ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『清少納言を求めて、 フィンランドから京都へ』

フィンランドのパルから、「読んだ?」と聞かれた本がある。
清少納言の本…。
フィンランドで結構、人気があって、日本語訳も出るから
日本語訳でフィンランドのパルは挑戦しようと思っているらしい。
それなら、私も読んでみよう!と読んでみた。
清少納言を求めて、 フィンランドから京都へ』

清少納言を求めて、フィンランドから京都へ

フィンランド人の女性が清少納言を読み解く…のかと思って
読み始めたけれど、違う。
これは文学の本だと思って読んではいけない。
日本文学、平安文学を学んだ人たちが読むにはとても物足りない。
なんせ作者は日本語ができないので、
日本語で書かれた研究論文までたどり着けていない。
読んだのは英訳されたごくごくわずかな清少納言に関する文献…
海外では、いや、日本でもか?
枕草子より源氏物語のほうが人気があり、研究されているらしい。
しかし、「レディ紫による枕草子」といった感じで、
ごちゃごちゃになっていることもあるようで…信用度は言わずもがな。

それでも、この本は面白かった…気がする。
読んでいるときは夢中になっていたのに、読み終わると、
これはなんだったんだ???という気にさせられたのには、
いくつかの理由がある。

繰り返しになるけれど、文学の研究本ではない。
どちらかというと、日本旅行記(海老蔵公演を偶然見た!とか
舞妓さんに会った!とか、東日本大震災のときに京都にいたり…)
『英国一家日本を食べる』の庶民版。 

英国一家、日本を食べる (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズ)

それにプラスされて、妙齢の女性がちょっと冒険をしようと
長期休暇を利用して、日本へ旅に出て、自分を見つめなおす…
という随筆の要素もある。

読んでいて、気になったのは、清少納言
性に奔放だったのでは?と海外では思われているという記述。
2011年に刊行されたアーサー・ウィリーの新版では
帯に「娼婦の日記」と書かれているらしい。

中宮定子の宮廷女房であるあなたが、共通の約束事のように娼婦
ーコルテザンーに変えられてしまったのか?
(コルテザンという言葉は、もともと宮廷にかかわる女性のことを
意味してはいる。でも、時代を経て、高級娼婦とか
王侯貴族の愛人という意味に転じた。) P422 『清少納言を求めて、フィンランドから京都へ』より

これはある意味、正しく、ある意味では違う。
紫式部藤原道長の召人(めしうど)だったのでは?と
言われている。
物静かそうな、従順そうな、優等生そうな紫式部ですら…。
現代の価値観にあてはめて、”性に奔放だ”と思うことは
違うと思う。この時代の価値観では清少納言紫式部
人にとやかく言われるレベルではなかったのでは?と。
和泉式部はさすがにやりすぎていたようだけれど…。

もし作者が日本語ができたなら、もっと様々な文献を
自分で読むこともできて、違うことを思っただろうなぁ…という
残念さはあるけれど、シェイクスピア(1564-1616)の時代に
女性たちが何かを書き記した跡はなにも残っていないらしい。
平安時代、1000年頃に日本ではたくさんの女性たちが
長編小説を書いたり、随筆を書いたり、
愚痴日記を書いたり、夢見る乙女ではいられなくなったのよという
日記を書き、そしてそれらが現代にも残っていることは
すごいことなのだなと改めて気づかされた。
旅行記として読むには面白い…のか?
478ページ、旅行記にしては長かった…。

そして、日本語学習者のフィンランドのパルが日本語で読むには
日本語の難易度が高すぎると思う…。