ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『せんせい』

いま読んでいる本は重松清の『せんせい。』

 

せんせい。 (新潮文庫)

せんせい。 (新潮文庫)

 

 

こどもたちに「どんな先生を覚えている?」と聞かれた。
校内暴力全盛期に学生時代だった夫は、
「下駄で竹刀持った先生が中学校の廊下をずっとうろついていた」らしい。
絶対うそ!ないない~と思っていたら、
夫と同じ中学出身のママさんが「あぁ~!○○先生!!」と
知っていたので、事実らしい。

小中と同じだった友人に「記憶に残っている先生は?」と聞くと
「小学校の音楽の先生。」と。
すっかり私は忘れていたけれど、その先生はクラシックの名曲を
授業の始めに流し、それを体で表現しなさい!と踊らされた。
”特にうまかった”人は、みんなの前で踊らされ…というあの授業が
とても憂鬱だったらしい。

ほかにも苦手だった先生として中学のときの「地理の先生」を挙げていた。
私はその”地理の先生”、面白くて好きだった。
板書を最初の10分で目一杯書いて、
「はい、今日の授業はこれで終わり。あとは教科書読んでおいて~」
というテキトーなもので、
「テストに絶対出る!だって、僕がテスト作るんだもん~」と。
なんてわかりやすい!と私は思っていたのだけれど、
適当さを苦手とする人は多かったらしい。

あの先生はあのとき離婚調停中でね…と私が話すと、
「えっ?なんでそんなことメイ知ってるの?」と聞かれた。
中間か期末のとき、試験監督として私の教室にやってきて、
「大人も大変でさ~」と私の机の横でずっと話していたから…。
先生、私は中学生!しかもテスト中!と小声で返したら、
「もうテストできてるじゃん~。」と言われ、
延々と離婚調停がいかにストレスか、結婚と離婚ではどっちが大変か、
そんなことを語られた。中学生に…。
でも、面白い大人という認識でいまに至っている。

娘の花子に記憶に残る先生を聞くと、「○○先生!」と
保護者からものすごい批判を受け、まさかの一年で異動した先生。
どういう意味で記憶に残っているの?と聞くと、
「雑だった。なにもかもが。
でも、私はお母さんの雑さで慣れているから、気にならなかった~。」と
なぜか私までセットでけなされた…。

私もその先生のときは、「なんで?」と思うことが多々あり、
2学期からは諦めモードで諸行無常
こどもが怪我さえしなければいいという境地だった。
ただ、花子はその先生のことをこうも言っていた。
「人によって丁寧にするところは違う。
あの先生はほかの先生とは違うところでは丁寧だったと思う。」と。
花子にはたまに本当に5年生か?!私より大人?と思わされるけれど、
今回もなんだか胸にズーンときた。
みんなそれぞれ、”先生”への思いはあるんだろうなぁ。