ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

アメリカからのEメールと冗談

インディアナ州のパルから「小包とロングレターを明日、送るわ」
というメールがきたのは3日前。

今日、彼女からメールが来ていた。
「ごめん、小包がまだ台所の机の上にある。
なんでこういうことになったかっていう手紙を追加するわ。
メイなら、この話も失望せず、笑ってくれるわよね?」

というEメール、彼女らしい!!と笑ってしまった。
彼女が言うように、彼女が言った日に小包を発送したことはない。
でも、子育て中って、予測できないことが日々起こるでしょ?
というところは激しく同意。

私も「ゆうパック送るわ~」と友達に言った日、
こどもたちが早退して学校まで迎えに行ったり、
受診したりとバタバタして、
郵便局に行けなかった日もある。

インディアナのパルが
「あなたのことは忘れたことはないわ。
あなたがくれた年賀状(家族写真付き)、
台所の壁に貼ってあるから、毎日あなたたち一家を見ているし、
笑顔になれるのよ。」とメールにあった。

それ、どういうタイプの台所?
カウンター式?アイランド式?
来客が来れば、もれなくみんなが見える場所?
ぎゃー!!と、日本で悲鳴を上げてしまった。

そんな彼女からのメールに書かれていた追伸、
「あんな男が大統領になったから、出身がどこかと言うのが
恥ずかしいわ。彼が”真のリーダー”と定義されることは
決してないわ!」と書いた後で、
"He's a joke." (彼はわらいものよ。)

トランプ大統領のことを He is a joke.というアメリカ人、
これで何人目かしら?というほどに、
このフレーズ、何度も見聞きした。
joke=冗談、しかなかった私の頭にも
物笑いの種、笑いぐさ、わらいもの、と
各種、日本語にすらりと訳せるようになってきた。
これだけ共和党に批判的にみんながなれば、
反動で次はまたすごい人になるのかしら???と
対岸の火事のように思っていたけれど、
日本の選挙も冗談にしか思えない。


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『破戒』

学生時代に読んだ本を再読すると
「あれ?こういう内容だったっけ?」と驚くほどに
感情移入する人物が変わっていたりする。

文学部の学生だった時、いろんな作家の本を読んだけれど、
なぜこれが大流行したんだろう?と首をかしげたくなるほど
面白くなくて苦行に近かった流行本もあれば、
流行ったかもしれないけれど、内容が薄っぺらいと思う本もあり、
その一方で、なんて色褪せないんだろう!と驚くほど新鮮に
いまの私でも読める本があった。

その中でも一番驚かされたのは島崎藤村だった。
私の中の島崎藤村は「初恋」の詩。

まだあげ初(そ)めし前髪(まへがみ)の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり

で、始まる可憐な初恋の詩。
しかし、講義で取り上げられたのが『破戒』。

 

破戒 (新潮文庫)

破戒 (新潮文庫)

 

 

ほぼ20年ぶりの再読を先日、した。
『破戒』のあらすじは、被差別部落出身の丑松が教員として働く、
出身部落のことを隠せ、というのが丑松の父の戒めだった。
友達にも言わず、想い人にも言わず、
ただ内に秘めるが、ついに…という結末は意外なもので、
「えっ?そんなのあり??」というものだったけれど
当時では意外にアリな選択肢のひとつだった、と本で読んだ気がする。

本の全編を通して語られるのは明治には被差別部落などはなくなり、
誰もが平民になったというものの、被差別部落は存在し、
それは隠さなければならないもの。
そして、明らかになったときには困難や苦痛が待っている。

これをいまの作家が書いても全く驚かないくらいに
現在も同じ状況があることだった。
同和問題と語られるそれらの問題を私も結婚のときに家族や親せきに
夫の出身地域を聞かれることにより根強いことを知った。

学生時代は、被差別部落出身であることを隠す主人公、
丑松の気分で読んでいた気がする。
再読したいま、丑松の父親、「隠せ」と戒めた側の気持ちで
読んでいた。
被差別部落”を恥じて隠せと言っているのだろうと学生時代は読んだけれど
親になった今、
ちょっとでもこどもが楽に人生を生きれるようにという思いで
「隠せ」と戒めたのではなかろうか、と思った。

巷には10代で読んでおくべき本と呼ばれるがあふれているけれど、
私はこの『破戒』をこどもたちが高校生になったら奨めたい。
最近の作家で、こういう社会問題を取り上げている人はいない、
そういう意味でも唯一無二の作品だと思う。

ホワイトボードで授業

青森在住のアメリカのパルから「こどもたちは元気?」と
ラインがきた。
青森県”タイムリー!!社会で習いたて。

実は、最近、家で”学校ごっこ”をやっている。
こどもたちの計算用紙にいままでは大量にもらったメモ用紙を
使っていたけれど、それも底を尽き始めた。
さて、なにかいいものはないかしら?と思っていて
”ホワイトボード”の存在を知った。
そして、壁掛けの大きいホワイトボード1つと
子どものメモ用に小さなホワイトボードを3つ買った。
大きいホワイトボードでは主に授業をしている。
私や夫がこどもに授業して学校の授業を先取り…ではなく、
こどもたちに”今日の授業”短縮版をやってもらっている。

1時間が45分の学校で受けている授業を3分でやって!と
こどもたちにやってもらうこと3日目、
かなり学校での授業の様子やこどもたちの性格がわかってきた。

例えば、末っ子の次郎、板書のときは必ず左手は後ろの腰の位置。
次郎の担任の先生はああやっているんだろう。
意外に次郎はきっちり映像で記憶するタイプのようで、
まず今日の国語は…と、ばーっと先生が黒板に書いたであろう
位置そのままに文字を書く。
45分の授業もほぼ3~5分にまとめ、わかりやすい。

3年生の太郎、45分授業を3分に短縮…って言ったのに、
授業が長い。「えーっと…」「だから…」とすべて黒板に
言った言葉を書き、その上、漢字間違い多発で、
「漢字が違う!」とか「”だから”って、何回書くの?」と
生徒役の私や夫に突っ込まれる。
算数をやろうと理科をやろうと、結局は漢字間違いだらけ。。。

そして、5年生の花子、昨日は社会科の”養殖”だった。
青森県ではひらめの養殖をやってます」と。
えぇ?青森=りんごとねぶた、しか習ってない!と私が驚くと、
「1990年代から始まりまして…」と言われる。
知らなかった…という発見がこどもたちからの授業にもあった。
花子の集中力は授業の最初のほうにしか保たれていないようで…
どの授業もとても短い。
えぇ?45分でそれだけ?と驚くほどで、
花子もノートを見返して、「あぁ!ほかにも…」と思い出し、
授業をちゃんと聞いてきなさい~!!となる。
では、花子はどこをしっかり覚えてくるか。

例えば、花子の社会科の授業は、最初に
「えぇ~、今日はほにゃほにゃほにゃーで…」と言う。
最初になにを言っているのか聞き取れません!と言うと、
「○○先生はこんな感じ」と、社会科の先生の物まねだったらしい。
そして、「キンコーンカーンコーン」と授業の途中でチャイムが鳴り、
ばーっと早口でまくしたてて、
「もう黒板消しても良いか?」と最後はいつもすごく急いで終わる…
のも社会科の先生のお約束らしい。。。
先生…もうちょっと授業を計画的にお願いします…。

こどもたちの授業は先生の個性が意外にでる授業だった。
こどもたちに授業を3分でやってもらうと意外に簡単な
復習になっていいかもしれない。

 


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『せんせい』

いま読んでいる本は重松清の『せんせい。』

 

せんせい。 (新潮文庫)

せんせい。 (新潮文庫)

 

 

こどもたちに「どんな先生を覚えている?」と聞かれた。
校内暴力全盛期に学生時代だった夫は、
「下駄で竹刀持った先生が中学校の廊下をずっとうろついていた」らしい。
絶対うそ!ないない~と思っていたら、
夫と同じ中学出身のママさんが「あぁ~!○○先生!!」と
知っていたので、事実らしい。

小中と同じだった友人に「記憶に残っている先生は?」と聞くと
「小学校の音楽の先生。」と。
すっかり私は忘れていたけれど、その先生はクラシックの名曲を
授業の始めに流し、それを体で表現しなさい!と踊らされた。
”特にうまかった”人は、みんなの前で踊らされ…というあの授業が
とても憂鬱だったらしい。

ほかにも苦手だった先生として中学のときの「地理の先生」を挙げていた。
私はその”地理の先生”、面白くて好きだった。
板書を最初の10分で目一杯書いて、
「はい、今日の授業はこれで終わり。あとは教科書読んでおいて~」
というテキトーなもので、
「テストに絶対出る!だって、僕がテスト作るんだもん~」と。
なんてわかりやすい!と私は思っていたのだけれど、
適当さを苦手とする人は多かったらしい。

あの先生はあのとき離婚調停中でね…と私が話すと、
「えっ?なんでそんなことメイ知ってるの?」と聞かれた。
中間か期末のとき、試験監督として私の教室にやってきて、
「大人も大変でさ~」と私の机の横でずっと話していたから…。
先生、私は中学生!しかもテスト中!と小声で返したら、
「もうテストできてるじゃん~。」と言われ、
延々と離婚調停がいかにストレスか、結婚と離婚ではどっちが大変か、
そんなことを語られた。中学生に…。
でも、面白い大人という認識でいまに至っている。

娘の花子に記憶に残る先生を聞くと、「○○先生!」と
保護者からものすごい批判を受け、まさかの一年で異動した先生。
どういう意味で記憶に残っているの?と聞くと、
「雑だった。なにもかもが。
でも、私はお母さんの雑さで慣れているから、気にならなかった~。」と
なぜか私までセットでけなされた…。

私もその先生のときは、「なんで?」と思うことが多々あり、
2学期からは諦めモードで諸行無常
こどもが怪我さえしなければいいという境地だった。
ただ、花子はその先生のことをこうも言っていた。
「人によって丁寧にするところは違う。
あの先生はほかの先生とは違うところでは丁寧だったと思う。」と。
花子にはたまに本当に5年生か?!私より大人?と思わされるけれど、
今回もなんだか胸にズーンときた。
みんなそれぞれ、”先生”への思いはあるんだろうなぁ。

 

ポルトガルで開封される!

ポルトガルのパルから手紙が来た。
「あなたの手紙は通常より日数をかけて到着して、
配達員さんが手渡ししてくれた」らしい。
「苦情申し立てをしますか?」とも聞かれた、と。
郵便日数がかかったから?!と驚くと、
「手紙が開封されていた」らしい。

でも、「中身はすべてあった」ということなので、
便せんはきちんと入っていたもよう。
では、なんで開封されたのか。
「多分、あなたが同封した折鶴の厚みがお金かと思ったんじゃない?」
とパルは手紙に書いていたけれど…
私がポストに投函して、彼女に到着するまでに職権ではなく開封されるんだ!!
という衝撃を久しぶりに受けた。

そういえば、以前、アメリカのパルが
「あなたからの郵便物は切手がいつも切り取られている」と書いていた。
切手がないのに届く?
逆にそれもすごくない?と驚いたのだけれど、
つまり、アメリカの郵便局以降で切り取られているのか?!という
疑問が発生したことに衝撃を受けた。
日本の郵便物ではありえないわよ!と私が驚いて言うと、
彼女も切手を切り取られたことはいままでなかったようで、
「よっぽどメイの切手って、素敵なのね~」という話になった。
それはもう記念切手を選んでますから、おほほほ、
という会話で終了した。
他者への寛容さ?
まぁ、中身(便せん)が届いているなら、いいんじゃないの~と
私も彼女も思ったから、あまり気にしなかったけれど
切手を切り取った後、封筒ごと手紙が捨てられていたら
怒っていたのかも。

私も何度か小包を税関で開けられたことがあるけれど、
いまのところ、多分…なくなっているものはない。
たまに、なんでこんな大胆な開け方をするんだろう???と
思ったり、これだけカッターで切って開けて、
テープ貼ったのはここだけかい!!
と家族で突っ込んだりしてしまうことはあるけれど。

改めて、海外のパルたちに手紙1通届くまでにも
たくさんの人の手を渡っているんだろうなぁ~と思った。
「お金か!!」とわくわくさせてしまったかと思うと、
ちょっと面白い。

 


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キャンプファイヤー

アメリカの日本語上級者のメル友に日本語でメールをした。
内容は娘の花子の自然学校。
スタンプラリー、肝試し、キャンプファイヤー、飯ごう炊飯に、
と自然学校の内容を書いたところ、
キャンプファイヤースタンプラリーってなに?」と返信が来た。

えっ?キャンプファイヤースタンプラリーがわからない?
いかにも英語っぽいと思っていたけれど、
これって和製英語だったの?!と焦りながら調べてみた。

スタンプラリーは英語ではなかった。。。
スタンプラリーとは何かを紹介する英語サイトを見つけ、
軽くカルチャーショックを受ける。

そして、キャンプファイヤー
英語でもcampfireとあるけれど、日本のようなキャンプファイヤー
アメリカではbonfireって言うわよっていうサイトをいくつか見つけた。
そうなの?Bonfireなの?とアメリカのパルたちに聞いてみた。

まずは20代後半のウィスコンシン州出身のアメリカ人女性、
「う~ん、私が思うにはbonfireは家の中でとかどこででもできる、
campfireは自然の中やキャンプするときね。
でも、似ているわよ。」

30代後半のマサチューセッツ州出身のアメリカ人男性は、
「campfireはキャンプ場で。
bonfireはどこででもできる。」

ということで、bonfireは焚き火?
やっぱりキャンプファイヤーはそのままcampfireなのかも、
と思った。

私の住んでいる地区、とんど焼きがものすごく派手で、
櫓(やぐら)を組む。
これは最早とんどのレベルの焚き火ではない、と常々思っていた。
キャンプ場でするキャンプファイヤーの3~5倍はある規模。
あれはもうcampfireって、認定してもいいと思う、
なんてことをcampfireとbonfireの話を聞きながら思った。

 

久しぶりの友達

すごく久しぶりに古い友人に会った、ネットの中で。
4年ほど前によくチェックしていた文通のサイトを久しぶりに見ると
私のプロフィールを見ている人の中に懐かしい人がいた。
しかもオンライン中。

彼がオンラインになっているのを最後に見たのは3年前?4年前?
というレベルなので、
「久しぶり~!」と送ろうと思ったら、
彼から「久しぶり~!」とメッセージがきた。

4年ぶりの彼…全く変わってなかった。
この4年の変化は?とお互いに聞いたけれど、
彼は「特に何も変化していない」らしい。
4年は大きいわよ!
この4年で、我が家のこどもたちはみんな小学生になったし、
そのサイトで知り合ったロンドンのパルやフィンランドのパルと
日本で会った。
「このサイトで知り合った人と実際に会った?」と聞くと、
いままで一人も会ったことはないらしい。

それって、リア充っぽい言い方ね~。
ネットの友達なんていらないってことね、現実の友達と忙しいのね、
と、ちょっと意地悪く言ったところ、
リア充ではない、というところも4年前から変わってない」と
返信が来て、相変わらずで、うれしくなった。
その皮肉っぽいところ、大好き!と告白しそうになってしまった。

リアルにも友達はいっぱいいるだろうに、
きみはなんでネットや文通でも友達が必要なの?と言われた。
それはね…「王様の耳はロバの耳~!!」って叫ぶためです。
ママ友はどこで、どうつながっているのかわからないので、
大変に気を遣う相手です。。。
学年が同じママさん同士が仲が良い、なんていうわかりやすいレベルではない。
例えば、私のママ友さんたちで、
「えっ?なんでメイがあの人と知り合い?」と驚かれたママ友は…
・実家が同郷に近い(ええ、同じではなく、同じ中国地方出身というレベル)
・夫と同じ中学校出身(1時間以上かかる夫の実家なのに、三人もいた!)
・引っ越す前のアパート時代の知り合い(いまは県内に散らばった)
・こどもの習い事で知り合ったママさん

ママ友不要論なんて話もよく聞くけれど、ママ友ネットワーク、
あなどれません!
インフルエンザがどこで広がってきたか、
どこの小学校の何年生が学級崩壊で教育委員会の監査が入ったか、
市内で同じ学年であれば授業進度も共有したり、
どこで事故があったからあそこで渋滞していたといった交通情報、
もちろん習い事や病院等のおすすめも教えてくれる。
それでも、ネットワークはどうつながっているのかわからないので
かなり気を遣うことも…。

そんな言いたくても言えなくなった諸々は、
海外のパルたちに愚痴ってるのよ、と4年ぶりの彼にも説明。

彼に説明していて気がついた。
結局、ママ友は仲が悪くならないようにと一歩踏み込めないことが多い。
海外のパルたちには素の自分で、合わなかったら、それは相性の問題だから
仕方がない!と思える。
そうやって仲良くなったパルたちとは、相性が良いので話しやすく
とても気が楽。
大人になっての友達づくりって、難しいわよね~という話を
アメリカ人の彼とはした。
「同僚と休日も一緒に出かけたりしたら、仕事みたいで気が滅入る」と
彼が言っていた。
日本人みたいな発言…と思いながら聞いたけれど、
海外のパルたちから「同僚と出かけた」なんて聞いたことないかも。
大人になっての友達作りは簡単?と、今度パルたちに聞いてみよう。

 

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