ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

記念日


アメリカのペンパルから手紙が来た。
彼女が私に返事を書いた日がちょうど3月11日だったことから、
「今日は日本の津波の記念日ね」と。
anniversary,という単語が使ってあり、正直、複雑な気分になった。

日本では、anniversaryを使うときって、結婚記念日だとか、
そういうハッピーな記念日の印象がある。
彼女の中では「遠い日本の津波記念日」みたいな感じなの?と
不快感を感じたのも事実。
でも、ニュアンスの違いがあるかもしれないと調べてみると、
英語のanniversaryはいい記念日でも悪い記念日でも使うらしい。
津波について、あなたが書きたければ、いくらでも書いていいわよ」とも
書き添えてあった。

私は関西に住み、それほど不自由を感じず(スーパーは空になったけれど、
それくらいは東北に比べると、言えるレベルではない)
影響も受けず、いまでも過ごしているハズ。
自分で、ハズと言うのもおかしな話だけれども、
乳幼児を抱えるお母さんたちは、放射能以外にも次の地震
起きたときの避難方法だとか持ちだす物の準備をしただろう。
私も3.11の後は、夫がいないときの災害に備え、
5歳、3歳の子どもに私の指示で手を繋ぎ、
5歳の娘が私のリュックの紐を持ち、私はリュックと1歳の末っ子を抱っこし、
と避難の練習をしたこともある。
そんな日が来ないことを願いながら、何度か練習した。

正直、ペンパルとの話題に”東日本大震災”の話題を書くことは
あまりない。私自身が、まだ手紙に書く気にはなれない。
震災のことには、つい神経過敏に反応してしまっている。
4歳の男の子が津波で祖母と行方不明になり、1年後に祖母は遺体で
見つかり、お母さんは「甘えん坊の子が一人きりで、どうしているんだろう」と
泣いていたという新聞記事を読んで号泣してしまったし、
両親も祖父母も親戚もいなくなったという子、
いまだに避難所めぐりをして両親を探している子、
記事にもなっていない悲惨な話はもっとあるだろう。
まだ私の感情ですら平常に戻っていない。
でも、もう過去の話として語られる震災。
まだまだ過去じゃない、時の流れに置いて行かれている気すらする。
震災のことは書く気になれないと書くつもりだったけれども、
書かなければ何も伝わらないのだから、
精一杯の感情を伝えてみようと思う。
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