ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『曼荼羅家族』

休憩用の本がある、と話すとよく驚かれるけれど、
本好きの人には休憩用の本があるに違いない!と
思っている。(そんな人には会ったことないけれど)
ノンフィクションとか救いようのない物語とか
私の頭で次善策が見つからないようなテーマを
突き付けられる本を読み終わったとき、
ぼーっと読める、頭を空っぽにできる本がいる。
あるいは、実生活でストレスいっぱいのときにぼけーっと
読める本。
そのジャンルは私にとってエッセイ。

お気に入りのエッセイストは幸田文向田邦子さくらももこ
というすでに鬼籍に入った人々。
ほかにも、佐藤愛子群ようこ林真理子小島慶子
とにかく作品数が多い群ようこは読書の休憩にぴったりで、
ほんわかな雰囲気のエッセイが好きだった…と過去形で
語ってしまうほどに今回手にしたエッセイがいまひとつで、
愚痴っぽくなるのは年齢のせい?と思ったりした。
以前は豪快で面白かった林真理子がなんだか常識人に近づきつつあり、
林真理子の良さがない…と新刊本を読んで、こちらもがっくり。
それに比べて佐藤愛子の舌鋒鋭いことって、
年齢もダントツの中ですごいわ!と
感心したり、小島慶子の本に意気揚々としたり、激しく同意して
読みながら頭をつい振ってしまったり…。

曼荼羅家族』で自己肯定感の高さは家族に由来する、
という話が書かれていた。

自己犠牲でボロ切れのようになった母親は子どもに罪悪感を
抱かせてしまう。「やっぱり生きるのは楽しい」と私も
全霊で子どもに伝えたいです。

すごく深い話なんだな、これが…と思いながら読めたのは
”タイムリー”な話だったから。
ママ友と友人と3人でお茶をしたとき、夫婦関係とこどもの話になった。
”標準”なんてないから、皆、それぞれに自分の両親を標準にし、
その上で自分たちの夫婦関係がある。
そして、こどもは私たちの夫婦関係を見つめている。
私は”普通の両親”で、私たち夫婦も”普通”だと私は思っているし、
我が家のこどもたちも思っている。
これが標準だろう、と。
それでも、正直…友人たちの”標準”とはかなり違う。
夫婦げんかに「もうやめて~!」と泣きながら子どもが止めに入った、
夫婦喧嘩をしている横でこどもが耳を塞いでいた、という話を
呆然と聞いてしまった。

私も友人たちも話すことでかなりストレス発散できるタイプなので、
昨夜の夫婦喧嘩で眩暈がするほどにイライラしていた友人が
お茶をしながらしゃべり倒して、
「スッキリしたわ!!」と帰って行ったり、
「娘にお母さんを見ていたら、結婚のメリットを感じないって言われた」
と言われてショックを受けたなんていう話を聞いたり…
友人たちのこどもをみんな正座させて、
「あなたたちのお母さんがいかに頑張っているか、全然わかってない!!」
と説教をしたくなることは多々ある。
まさに”自己犠牲”の世界を強いられているママさんは多い。
家庭環境をよくしようと頑張っているママさんもすごく多くて
感心する。
ママさんたちの頑張りを、「がんばってるよ!」「がんばってる!」と
ただ頑張りを認めるとすごく喜ぶ、それだけ飢えているんですよ、
誉め言葉に。

ちなみに我が家は「お母さんは毎日楽しそうでいいね~」とか
「読書しているか手紙書いているか、ペン字しているか、だね」と
こどもたちに言われる。
・・・その夕飯は魔法のステッキ一振りで出てきたのか?
埃が落ちていないフローリングは魔法のステッキか小人か?
この生活を”標準”と思っている人に、それがどれだけ恵まれているかを
伝えることは難しい。
私も私の”標準”の中にいる。