ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『ギブ&テイク 与える人こそ成功する時代』

ギブ&テイクについて考えることが多いこの頃だった。
例えば、中3の太郎はギブが多い、と傍目に見ていると感じる。
そこまでしなくても…放っておけば…とつい思ったり、
あれだけ太郎からギブをもらっておいてその仕打ちかよ!!と
太郎よりも親の私が憤りを覚えたり…。
しかし太郎のギブは揺るがない。
私だったら、もうギブしないよ、そんな奴に!!と思うときも
太郎は与え続ける。
私のギブは自己犠牲と紙一重のところにありがちで、
つい「こんなに頑張ったのに」と思ってしまうので
相手にも見返りを求める。
そういう自分が嫌で、見返りを求めない程度のギブしかしない、と
基準を設けているけれど、しばしば基準を超える。
そして疲れる。
太郎のギブはマイペースなギブで、「できるからする」
「与えれるから与える」であり、そこに自己犠牲もなければ
疲弊もないのだなぁと感心した。

その一方で、テイクだけの人がいる。テイカーと呼ばれるらしいけれど。
そのテイカーとの付き合い数年…もう私は彼にギブしないことにした。
やはりギブ&テイクにはバランス感覚がいって、
太郎のように惜しみなく与えられないわ、と思っていた時に
手に取り読んだ本。

『ギブ&テイク 与える人こそ成功する時代』

これが自己啓発本なのか心理学本なのか読み終わってもわからない。
気づきを得ることも
悟りを得ることもできなかった。
与える人をギバー、受け取る人をテイカー、バランスをとろうする人を
マッチャ―と呼ぶらしい。
成功者はこの3分類で誰が多いか…ギバー。
失敗する人は…実はこれもギバーという。
本書ではいろいろと説明されているけれど、成功者のギバーと
失敗者のギバーの差って、ただの”運”じゃない?と
読みながらもずっと思ったり。

結局は「情けは人の為ならず」なんだよ、という話にもなるけれど
本書でも「自分に全く利益をもたらさない人間をどう扱うかで
その人がどんな人間かがはっきりわかる」というところ。
地位によって、人によって、態度をころころと変える人をたくさん見てきた。
若い時は「ゲロゲロ…」と忌み嫌っていた。
いまは「反面教師、ありがとう!」という気分で見ている。
わかるわ~、ついやっちゃうんだよね~、と。
でも、私はそういうことはしないようにしようと思っている、と
私は戒めに思っているレベルの人間性しか持ち合わせていないので
基本ルールとして、できている人をやはり尊敬してしまう。
またまた中学生の太郎の話になると、「Aくんと誰も英語のペアを
組みたがらなかった」(Aくんが英語できないのにペアを組むと
一緒に成績下げられるから)、Aくんとペアを組み、
「Bくんが祭りのときに1人っていうから、グループに誘った」
(Bくんの言動が結果として孤立させているからでしょ…)
誰もに平等に接する、すごいことだよ、と感心する。

ちなみに、「調査では人は権力を手にすると、生来の傾向が表に
でやすくなることがわかっている」らしい。
ダメなリーダーをたくさん目にしてきたけれど…そうか、
あれが生来の傾向か、それなら仕方ない…。

この本を読めば「ギブ&テイク」のジレンマにすっきりとした
解決法がわかる、なんてことはない。
常にギバーな人も常にテイカーもいないらしい。
・・・そうかしら?とここはちょっと疑問。