ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

サクラサク。

息子が無事に第一志望の県立高校に決まった。
高校見学も友達と、試験はお父さんの送迎、
合格発表は一人で…と私は一度も行かなかったので
制服採寸で初めて高校へ行った。
そこで”合格者説明会”ということで校則についての説明があった。

衝撃を受けた。
あまりにも衝撃を受けて、息子に「校則知ってた?」と聞くと
「知ってた」と。
知ってて、ここにしたの?と私には驚くほどの校則の厳しさだった。
「ゴムの色は黒か紺」
「華美なものはだめ。シュシュも」と先生が説明する。
シュシュ?!シュシュが華美?!
えっ?キンキラ金のシュシュ(見たことないけれど!)ではなく
黒や紺のシュシュもあるけれど、
”シュシュ”が一律ダメなの?!と衝撃。
だって…高校なのに?
娘の高校は校則がゆるいほうではあるらしいけれど、
私の出身高校と比べると、まだ厳しい…。
(偏差値はほぼ同じ…)

いや、ちょっと…こんな高校、あるの?と思い、
他のママさんや知り合いに「高校、どんなところだった?」
「校則は厳しかった?」と聞くと、みなさん、
なかなか校則が厳しい高校出身で…
「多感な時期には校則は必要だ」と思っている人が多かったことも
衝撃だったし、私の出身高校の校則の緩さに驚かれた。

どんな高校だったか、
ピアスをあけてきたら先生が注意する。(当然)
「透明ピアスにしなさい」と。
…先生、注意はそこですか!!と衝撃を受けた1年の春。
「ファーストピアスなので1か月は外せません!」と友人が言ったら
「そういうことは夏休みにするのよ!そうすれば1か月つけれるでしょ!」
とアドバイスしていた…。

鞄も靴も靴下もなんでもありで、髪の毛の規定もなかった。
(あったかもしれないけれど、注意はなかった)
プールバッグみたいな鞄で登校していた子もいたし、
リュックもいたし、私は手作りバッグで登校して途中で壊れて
家庭科の先生にミシン借りたことも…。
若干、色が違う人もいたけれど、帰国子女も多かったので
間違っても”地毛証明書”なんてことはなかった。
他の高校の友人たちに最も驚かれたことは授業中に
机の上に飲み物を置いてもいい、というルールになっていたこと。
もちろん、授業中に飲んでもいい。
「暑いし、喉乾いたら飲んでいい」と。
(今から20年以上前に)
水筒を置いている人なんておらず、紙パックジュースやペットボトルを
机の端に皆、置いていた。
私が前列の一番端(廊下側)に座っていた時、
先生が教室に入ってから私の机に100円玉を置き、
「ミックスジュース買ってきて!」と下駄箱前の自販機まで
買いに行かされたことも…。
いや、先生、授業始まっているんですけれど…と言うと
「だから、急いでね!」なんて使い走りをさせられることも
記憶に残っているくらいの頻度であった。
もちろん、ゆ~っくり歩いて行く。

日本の友人たちに校則の厳しさの衝撃を語っても全く共感を
得られなかったので、ロンドンのパルに愚痴った。
ロンドンのパルに「あなたは校則は緩いほうがいいと思っているの?」と
聞かれた。

ええ、ゆるくていい!と思ってる。
校則あった?みたいな高校で高校生活を送ったけれど、
みんなとても真面目だった。
なんでもしていいよ!好きな鞄できていいよ!
って言われても、使いやすい教科書がたくさん入る鞄を選ぶのよ、
(自作のカバンなんて、材料費高くついて使いにくくて、もろくて
二度と作らない!と学んだのも高校の時…)
何履いてきてもいいよと言われても、動きやすい、相応の靴でくるのよ、
登校ぎりぎりで走るからスニーカーとか
みんなそれぞれ合理的な判断をする。
たまに「それはやりすぎ」と言われた人もいた気がするけれど、
その”失敗”こそが学生生活の中でするべきで、
きちきちの校則では”失敗”もできないのでは?と思う。
ルールが多すぎると自ら考えることもしなくなり、
それは良いことなのか?と思わずにはいられない。

私の通っていた高校では髪の毛を染めたい人は水泳部に入っていた。
「塩素で抜けました!ほら、先輩たちも!」と言うために。
不思議なことに、私の母校の水泳部員は冬も髪の毛が明るくなる…
水泳部、冬は筋トレなのに筋トレでも色素抜けるのか?と
先生たちにいじられていた。(いじる程度で終わる)
そんな高校生活だったので、息子の高校の校則の厳しさに
「ここは私は無理…」となってしまった。