ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

本を紹介されて憂鬱になる

久しぶりに読書家に出会った。
もうすぐ80に手が届く女性。
「今年はどのくらい読んだの?」と友人に聞かれた女性が
「今年はまだ50冊よ。」と。
50冊?4月で?!すごいペース!!と、つい驚いて
ジャンルは何を好んで読んでいるのですか?と聞くと
”時代小説”とのことだった。

時代小説…御宿かわせみとか?

私はあまり読まないジャンルだなぁと思いつつ、
宇江佐真理さんの時代小説なら私もすべて読みました!

と話したら、彼女ももちろん宇江佐真理さんを知っていて
「亡くなったのは残念よね」と話していた。
ほかにはどの作家の時代小説を読むの?と聞かれ…
私が読んだことのある時代小説、永井路子平岩弓枝山本周五郎くらいで…
と話すと、「おすすめの作家の本を今度貸してあげる!」と
話した数時間後、家まで本をもってきて貸してくれた。

全く見たことも聞いたこともない作家だったので、
ついアマゾンでチェック。
映画化もされていた。
そして、薄々、いやな予感もしていたけれど…
ラストは時代小説というか、その時代らしい”不条理”な
結末らしい。
つまり、アンハッピーエンド!

「あなたはどんな本を読むの?」と聞かれ、
どんな本でも読む!と、つい答えてしまったけれど、
忘れてた。
「ハッピーエンドが好きです…というより、
本の中でまでアンハッピーエンドを望んでいません。」と言うのを。

日本語で、物語も面白いのでぐんぐん進む…けれど、
折り返し地点からため息しかでない。
いや、だって、この先には”不条理な結末”が待っているんでしょ?
いやだなぁ…いやだなぁ…あぁ…不条理って…
誰がそんなものを好き好んで本の世界でも読みたいわけ?
現実にゴロゴロ不条理なアンハッピーエンドあるのに?と悪態つく。

こどものときはハッピーエンドが大好きで、
とんがっているときはハリウッドの大団円やご都合主義の
ハッピーエンドを小馬鹿にしていた。
いまは1周回って、ビバ!ご都合主義のハッピーエンドです。
現実世界ではちょっと厳しいような展開をいかに無理やりにでも
ハッピーエンドにもっていくか、
読者に”ご都合主義臭”を感じさせずに、というところが
作家の手腕でしょ?誰もリアリティなんて求めてない、
ファンタジーでいいから、とにかくハッピーエンド!と思っているのに
いま”不条理な結末”へ一直線の物語を読んでいる…。
登場人物の一挙手一投足に、「やめとけ!そこでやめとけ!」と
結末にすでにハラハラ(まだ折り返し地点だけれど)。
全くもって読書が楽しめない。
この不条理な結末を好んで描くような時代小説が好きって、
どういう心理なの?と不思議にすらなってきた。

今度、読書家に会ったときには、はっきりと言おう。
真の読書家ではないと思われてもいい。
「最後はとりあえずハッピーエンドの本しか読みたくないんです!」と。
とりあえず、ビール!がいいなら、
とりあえず、ハッピーエンド!もヨシとしてほしい。

『ザ・ホエール』

『ザ・ホエール』

死期が近い男性が8年前に捨てた娘との絆を取り戻そうとする話、
というあらすじだけだとよくある映画なのだけれど、
実際は情報過多だった気がする。
処理できないモヤモヤがたくさん残る。

主人公は結婚して妻も娘もいたけれど、8年前に恋に落ちて
妻と娘を”捨てる”、と字幕になっていたけれど、
英語では”left"(去った)だった。どちらでも同じか?
いや、捨てる、と去る、の差は大きいけれど…。
しかも、恋に落ちた相手は”男性”。
実は同性愛者だったと気づいた男性とその家族の苦しみ…。

相手の男性は新興宗教の牧師の息子で、熱心に宗教活動をしていたものの
同性愛ということで入っていた宗教から嫌悪され、教会を去ったものの
自らの育ってきた環境や価値観とのギャップなどもあり亡くなる。
救ってくれるハズの宗教により破滅する…。

パートナーの死から主人公の男性は過食に陥り、自暴自棄になる。
医療も宗教も拒否して。
医療も宗教も拒否する人に”救い”として、
8年前に捨てた娘との絆を取り戻そうとするのだけれど、
さすが映画!なハッピーエンドではなく、
現実的な着地点。
つまり、人は医療も宗教も拒否すれば救いはなしなのか?

これはなんだ、どう受け止めればいいんだ?えぇ?と思っている間に
映画は終わる。スッキリしない結末に宙ぶらりんな登場人物を残して。
私も一緒に取り残された気分…。

家族愛に救いを求めた簡単なお涙頂戴の話に終わらない。
救いがない…と思ってしまった。

『幸せな独りぼっち』

『幸せな独りぼっち』

スウェーデンの映画。
ロンドンのパルから「メイの好きそうな映画だと思うんだけれど、
観たことある?」とlineがきた。
観たことはないけれど、AmazonPrimeにあったので視聴。

妻を亡くした男性が近くに越してきたイラン人女性や
その家族と仲良くなり、孤独を解消する話。

あれ?これはあの本に似ている。
"The Brilliant Life of Eudora Honeysett"

孤独を感じ、自殺を試みる高齢者…。

そうなの?高齢者になったら孤独を感じて自殺を試みる、
このあらすじがもう既読感いっぱい、既視感いっぱいなんだけれど
世界の高齢者たちはこの王道になっているかのようなあらすじに
異議を唱えなくていいの?とすら思えてきた。
人生後半戦、エンジョイ勢やパーティー勢がいたって
悪くないと思うんだけれど。
仕事も早起きも必要ないから若者が「うるさい!寝れないだろ!」というまで
BBQをして夜中に花火打ち上げる…とかしてもいいのに。
「私も、年取ったらあんな高齢者になりたいぞ!」とか
「いいなぁ~、仕事もこどもの学校もない生活、うらやましすぎ!」とか
言われてもいいのに。

北欧の某国の友人(60代)から、日本人のおばあちゃんが子育てを手伝わないから
私から一言伝えるのって、ありだと思う?と聞かれた。
これは、国とか文化とか関係なく、その人の価値観によるものが
大きいのだろうなぁ~と思うんだけれど…と話したら、
「あなたは孫の祖母同士でのそういう会話はどう思う?」と聞かれた。

・・・「なしで!」
子育てに祖母の参加を強要するのも変な話で、
基本は夫婦でするものでは?と思っている。
助けてもらえるのはありがたいだろうし、多くの人が助けてもらっている、
それなのに文句も言う人たちが多いけれど…
というのも知っているけれど、それを夫婦以外の人に頼まれると
ややこしくならないか?と。
いや、正直に言おう!
私は子育てが終わった後に孫育てなんてしたくない。
自由時間を満喫したいんだー!残り少ないお金と時間を自分に使いたい!
と今は思っているので、その日本のおばあちゃんの気持ちのほうがわかる。

しかも、まずはパパが子育てをもっと主体的にするのが当然で
パパがしないから、パパのおばあちゃんやってよ!って、
おかしくない?とは言えないので…
「夫婦で話し合って解決策を考えてって、言うしかないんじゃない?」と
オブラートに包んで言ってみた。

北欧なので、子育て世帯には手厚いサポートがあって
共働きは当然で、だからこそ日本のサポートのなさが気になるのかと
質問したら、
「私がフルタイムを諦めたのは保育料が高かったからよ。
手伝ってくれる人はいなかったしね。」と彼女は語っていた。
30年以上前の話だけれど、いまもあまり変わってない、と彼女は言う。
だからこそ、娘には仕事を持ち続けてほしい、と。

彼女の話を聞いて私も告白。
「私は、こどもたちが順番に水ぼうそうになった。
2週間ずつずれて、上二人は予防接種していたのに、
3番目は予防接種する前に上の兄弟からもらった。
ほぼ2か月間、順番に登園禁止で自宅に誰かいないといけない状況になり
両祖父母はまだ働いていた。」

誰かが犠牲にならないと成り立たない子育てをしたいと思う人は
どれほどいるのだろうかと思う。
そして、犠牲にしてきた人たちが子育て後に自分を優先したときに
私は何も言えない。

 

"UNLIKELY PILGRIMAGE HAROLD FRY"

面白そうな映画を見つけた。 
『ハロルド・フライの思いもよらない旅立ち』
6月7日全国公開!

movies.shochiku.co.jp

面白そう!だけれど、6月7日まで待てないので原作本は
ないのかしら?と探してみたら、あった!
すでに翻訳済み。
『ハロルド・フライの思いもよらない巡礼の旅』

もちろん原書も。
"UNLIKELY PILGRIMAGE HAROLD FRY"

サンプルを読んでみたところ、引き込まれたのでそのまま
kindleで購入し、読んだ。

あらすじは、昔の同僚から手紙を受け取ったハロルド、65歳。
彼は定年退職して半年ほどで、家からほぼでない生活をしている。
その手紙には何十年も会っていなかった同僚がいまホスピス
いることが書かれていた。
彼女に返事を書き、その手紙をポストに入れる…つもりが
1000キロもの旅にでる。スマホも持たず!
ホスピスには「僕が歩いて行く間、彼女も生きるように伝えて」と
電話で伝える。
歩きながら人生や家族について自問自答する。

これは、イギリス版の『走れメロス』と同じだと思いながら読んだ。
靴が破れようと、足が絆創膏だらけになろうとも、
”僕が歩き続ける限りは、彼女は生きる”と信じながら歩く姿勢には
尊さを感じずにはいられなくなる。
その一方で、”巡礼”風な出来事も各種、起きてきて
ユダがいる…と思ったり。
キリスト教の巡礼がどのようなものかを私は知らないけれど、
日本人としてはお遍路さんをしているように読める。
ハロルドがうまく関係を築けなかったと何度も悔いる息子もでてくる。

出会いと別れを繰り返し、家族がいて…壮大な物語で、
これをどうやって映画にまとめたのだろうか、と改めて映画も観たくなった。
ただ、本では続編がすでにあるものの、続編を読みたいかと聞かれると
もう十分かも…と思ったり。

洋書を読んでいて面白い表現に出会うと調べてノートにメモする。
英語の意味を日本語でどういう意味なのか調べて、
その日本語の意味を調べる、ということを久しぶりにした。

Good heavens!
若い女性のところへ泊ったハロルドに友人が言った)
「やったね!」みたいな訳で十分だと思いつつ、調べてみた。
Good heavens; 南無三宝

・・・南無三宝???南無三宝ってなに?
仏と法と僧の三宝に呼び掛けて仏の救いを求めること、
転じて驚いたときや失敗したときに発する言葉。

知らなかった…。いや、「南無三」って聞いたことはあるから
知っているといえば知っているのだけれど、
今度から「あちゃー」の代わりに「南無三宝」と言おうと思う。
すごい敬虔な仏教徒みたい。

55冊目で500万語を読み終えた。
知らなかった熟語はまだまだたくさんあるけれど、
最初は2週間かけて1冊読んでいた洋書がいまは3,4日で1冊。
日本語の本ならば半日で2冊くらい読み終えるので、
まだまだ日本語に比べると読む時間はかかるけれど。
500万語の成果…本の中に出てきた表現を海外のパルたちに使って
「超フォーマル!!」と言われたり、
「いつの時代の人?今時言わない」と言われたり。

最近読んでいる本が60代より上の主人公や登場人物たちなので
言い方が古くて丁寧らしい。それも面白いけれど。
丁寧すぎて問題にはなることはないでしょ?と話すと、
「いや、本当に最近の若者たちときたら…」とどこの国からも
若者の無礼さや不躾さの不満がでてくるようになった。
そうか、みなさんもうそんな年齢か…と私は若者サイドのつもりで
話を聞きたいところだけれど、私も平均寿命の折り返し地点を過ぎたので
「いや、本当に今時の若者は…」と参加している。

言語交換

夜中にスイスのパルからLineがきた。
言語交換のパートナーを探すサイトで出会った日本人女性のコレ、
どう思う?と数枚のスクリーンショットと。

自称日本人女性が「私は日本人でドイツ語を学びたい。
いまはスイスでスイス人夫と国際結婚をしているのだけれど、
夫に追い出された。
知り合いもいない、お金もいない、働いてもいない。
警察に行くべき?」と。

…言語交換相手募集サイト経由で、そんな相談?
スイスのパルは「日本に帰ったら?」と言い、
「私にできることはこれ以上はないと思う」と話していた。
そんな自称日本人女性の話、どう思う?と聞かれたので
「詐欺っぽい」と話したところ、
やっぱり…と彼女も詐欺かもしれないと思ったらしい。

スイスのパルは日本語力向上のために言語交換パートナーを
探していて、同じサイトで数人の日本人女性を見つけ
日本語でチャットしたり、カフェでお茶したりしているらしい。
その中には、「あなたと同じ名前で、同じ出身県の人もいるのよ!
年齢もほぼあなたと同じ」と言われた。
私の名前、多かったのよ…私の年代では。
海外のパルたちがたまにものすごいびっくりしたかのように
「あなたと同じ名前の日本人女性に会った!」と報告してくれるけれど
日本では全く珍しい名前ではないので、驚かない…。

スイスのパルが言語交換の相手を探す大変さを語っていた。
私も一時期、探したことがあるけれど、むずかしい。
同性で、気が合って、くだけすぎない英語の人で…という私の
リクエストをクリアすることはむずかしかったので
私はオンライン英会話のほうがいいと思うようになった。
スイスのパルにもオンラインレッスンでの有料会話とかは?と
聞いたけれど、彼女はあくまでも”友人”と日本語で話したいらしい。

友人で、日本語が上手で、気の合う人…
いるじゃん!ここに!と立候補したら、「いいの?!」ということだったので
「もちろん!」と安請け合いしておいた、いつもの通り。
「あなたは知らないだろうけれど、実は日本語ネイティブなのよ。」と。
最近、私の日本語がルー化していると夫から指摘を受けているけれど…。
言語交換っていっても、私のドイツ語はもう挨拶しかできないので
日本語でいいのよね?と確認すると、「たまに英語も」と。
ドイツ語の自己紹介くらいは確認しておかなくては…。

"Lucy by the Sea"

積読本を消化中。
いつ買ったんだろう…という本から数冊、最初の数ページだけ読んで
つい引き込まれた本を読んだ。

"Lucy by the Sea"

 

60代前半のルーシーが元夫とコロナウイルスが流行り始めたNYから
田舎へ脱出する。未知のウイルスが流行っているNYから来たルーシーたちは
いやがらせや侮蔑的な言葉も投げかけられる。
(白人女性でこれなら、有色人種、特にアジア人は大変だっただろうと
本を読みながら思った。)
ワクチンがいつくるかわからない不安、
いままでのように家族ともハグできない孤独感、
議事堂になだれ込む暴徒たちをTVで見て呆然としたり、
あぁ~、そうだった…なことが書かれている。
結婚して幸せだと思っていた二人の娘たちも岐路に立たされる。

物語、ではあるけれど、常にルーシーの視点で語られているので
ルーシーの日記や手紙を読んでいるような気分。
「大したことが起きない」「面白くない」と評価する人たちも多く
評価は低めだったけれど、私は大いに共感した。
主人公は60代の女性だけれど…。

ルーシーが不倫に走ったことがある、という話のときに
不倫相手の話をする。「振り返って考えると、彼は私を”特別”のように
扱ってくれて、話をよく聞いてくれた。それだけだった。」と。
不倫相手の外見は一切でてこない。
でも、十分だ!わかる!
元夫が話をちゃんと聞いてくれなかった、
聞いてほしい話を途中で「もう十分」と遮られた、
そんな彼女にとって、いや多くの人にとって、”特別”に扱ってくれる人は
それだけで惹かれる、そういう機微の描き方がすごくうまい作家だと思った。

物語を読んでいて、読み終えて、「あのエピソード、いらなかったのでは?」
「あのエピソードは文章量の調整のため?」というような蛇足エピソードを
感じることがしばしばある。
この物語の中では、多くの小さなエピソードがたくさん語られて、
そのひとつずつを知ることで、人物像がくっきりと浮かんでくる。
ここ最近で、一番、物語がうまい!と思ったけれど、
この作家の別の本はkindleのサンプル読んで満足したことも…。
私が読んだ"Lucy By The Sea"はシリーズの4番目?くらいのようだけれど、
この本から読んでもついていけるし、面白かった。
前作は翻訳されているけれど、"Lucy By The Sea"は未翻訳。

54冊目。496万語超えになったので、次の本で500万語超える。

 

サクラサク。

息子が無事に第一志望の県立高校に決まった。
高校見学も友達と、試験はお父さんの送迎、
合格発表は一人で…と私は一度も行かなかったので
制服採寸で初めて高校へ行った。
そこで”合格者説明会”ということで校則についての説明があった。

衝撃を受けた。
あまりにも衝撃を受けて、息子に「校則知ってた?」と聞くと
「知ってた」と。
知ってて、ここにしたの?と私には驚くほどの校則の厳しさだった。
「ゴムの色は黒か紺」
「華美なものはだめ。シュシュも」と先生が説明する。
シュシュ?!シュシュが華美?!
えっ?キンキラ金のシュシュ(見たことないけれど!)ではなく
黒や紺のシュシュもあるけれど、
”シュシュ”が一律ダメなの?!と衝撃。
だって…高校なのに?
娘の高校は校則がゆるいほうではあるらしいけれど、
私の出身高校と比べると、まだ厳しい…。
(偏差値はほぼ同じ…)

いや、ちょっと…こんな高校、あるの?と思い、
他のママさんや知り合いに「高校、どんなところだった?」
「校則は厳しかった?」と聞くと、みなさん、
なかなか校則が厳しい高校出身で…
「多感な時期には校則は必要だ」と思っている人が多かったことも
衝撃だったし、私の出身高校の校則の緩さに驚かれた。

どんな高校だったか、
ピアスをあけてきたら先生が注意する。(当然)
「透明ピアスにしなさい」と。
…先生、注意はそこですか!!と衝撃を受けた1年の春。
「ファーストピアスなので1か月は外せません!」と友人が言ったら
「そういうことは夏休みにするのよ!そうすれば1か月つけれるでしょ!」
とアドバイスしていた…。

鞄も靴も靴下もなんでもありで、髪の毛の規定もなかった。
(あったかもしれないけれど、注意はなかった)
プールバッグみたいな鞄で登校していた子もいたし、
リュックもいたし、私は手作りバッグで登校して途中で壊れて
家庭科の先生にミシン借りたことも…。
若干、色が違う人もいたけれど、帰国子女も多かったので
間違っても”地毛証明書”なんてことはなかった。
他の高校の友人たちに最も驚かれたことは授業中に
机の上に飲み物を置いてもいい、というルールになっていたこと。
もちろん、授業中に飲んでもいい。
「暑いし、喉乾いたら飲んでいい」と。
(今から20年以上前に)
水筒を置いている人なんておらず、紙パックジュースやペットボトルを
机の端に皆、置いていた。
私が前列の一番端(廊下側)に座っていた時、
先生が教室に入ってから私の机に100円玉を置き、
「ミックスジュース買ってきて!」と下駄箱前の自販機まで
買いに行かされたことも…。
いや、先生、授業始まっているんですけれど…と言うと
「だから、急いでね!」なんて使い走りをさせられることも
記憶に残っているくらいの頻度であった。
もちろん、ゆ~っくり歩いて行く。

日本の友人たちに校則の厳しさの衝撃を語っても全く共感を
得られなかったので、ロンドンのパルに愚痴った。
ロンドンのパルに「あなたは校則は緩いほうがいいと思っているの?」と
聞かれた。

ええ、ゆるくていい!と思ってる。
校則あった?みたいな高校で高校生活を送ったけれど、
みんなとても真面目だった。
なんでもしていいよ!好きな鞄できていいよ!
って言われても、使いやすい教科書がたくさん入る鞄を選ぶのよ、
(自作のカバンなんて、材料費高くついて使いにくくて、もろくて
二度と作らない!と学んだのも高校の時…)
何履いてきてもいいよと言われても、動きやすい、相応の靴でくるのよ、
登校ぎりぎりで走るからスニーカーとか
みんなそれぞれ合理的な判断をする。
たまに「それはやりすぎ」と言われた人もいた気がするけれど、
その”失敗”こそが学生生活の中でするべきで、
きちきちの校則では”失敗”もできないのでは?と思う。
ルールが多すぎると自ら考えることもしなくなり、
それは良いことなのか?と思わずにはいられない。

私の通っていた高校では髪の毛を染めたい人は水泳部に入っていた。
「塩素で抜けました!ほら、先輩たちも!」と言うために。
不思議なことに、私の母校の水泳部員は冬も髪の毛が明るくなる…
水泳部、冬は筋トレなのに筋トレでも色素抜けるのか?と
先生たちにいじられていた。(いじる程度で終わる)
そんな高校生活だったので、息子の高校の校則の厳しさに
「ここは私は無理…」となってしまった。