ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

ジェンダー

最近の私の周囲は”ジェンダー”を考えさせられることが
多かった。
まずは、イギリスの友人から手紙が来た。
彼女の娘ちゃんは我が家の息子と同じ13歳。
いま娘ちゃんが気になることはLGBTQだと思っていたら、
どうやら私もその一人だと思う、というカミングアウトを
娘ちゃんはしたらしい。
「彼女は勘違いしていると思う。大きくなれば気づくわ」と
イギリスのパルは言っていた。
いや、それ、変わるものではないよね?と思いつつ
読んでいたら、パルも思うところはあるようで
あなたならどう?と聞かれた。

我が家のこどもたちがLGBTQだったら…
カミングアウトをしてくれたなら、信頼に値したということで
うれしいと思う。
楽しいことも悲しいことも共有したいと思うから…以上!
というくらいにしか思わないなぁ、と思っていた。

過日、小学校の参観日のテーマが”ジェンダー”だった。
男性に向いている仕事、
女性に向いている仕事、というのは存在するのだろうか?と。
小学生のこどもたちがなりたい職業をそれぞれに書き、
これはどちらの性別に当てはまるか、
もしくはどちらでもできるか、と黒板に貼っていく。
すべて!真ん中に貼られた職業にいまのこどもたちを見た気がした。
多分、あの授業参観の山場は、こどもたちがなりたい職業が
30以上あった中で、”学校の先生”という紙が一枚もなかった、
ということが職業の性差以上に、先生はショックを受ける
ポイントだと思ったり…。

私自身はこどもたちにジェンダーにとらわれないようにと
教育してきたつもりで、私自身もそうありたいと思っている。

末っ子の通信教育を変えようと思ったことに端を発する。
Z会の中学受験コースを受講していた小5の息子、
Z会の中学受験コースは5年生の9月で小学校の算数を
履修し、あとはひたすら演習となる。
中学受験をしない息子には必要のない演習。
それ以降、どうしようか…と考えていた。
また6年生コースをとれば、同じことの繰り返しになるし、
中1コースを始めるには…と思っていた時に
オンライン家庭教師で数学のみの先取りをしようと決めた。
某オンライン家庭教師サイトには数百人の
家庭教師が登録されていて、条件を絞る必要があった。
その話を友人にしたら検索条件を聞かれた。
私の条件は”指導経験10年以上”と”男性”だった。

そして、気づく。
なぜ”男性”にしたのだろうか?と。
もし、これがオンライン英会話の先生なら性別を気にしなかった?
数学だから男性講師を希望した?
そこにジェンダーバイアスは含まれていないと言い切れるのか?

ちなみに友人は同じ立場なら
「絶対に女性講師」を希望するらしい。
しかも「優しそう」「化粧がほどほど」と外面重視。
写真?要は顔?と聞くと、
「年齢を経ると人間、隠せない性格が顔に出る」と。

最初の検索条件に性別をチェックし、”男性”で検索を
かけた自分に一番ショックを受けたのは私自身かもしれない。

優しそうな講師、厳しそうな講師と各種いた中で
私が選んだのは厳しめの先生。
若くて、フレンドリーで友達のような先生…
正直、お腹いっぱい。
わかるよーと同じ立場に立ち、共感を示して
生徒と仲間のようにしつつ
なにかあったときには急に上から命令してくる、指示する、
カメレオンのように変幻自在に立場を変える、
そういう先生は信用できないと思ってしまう。
生徒の立場だった時も親になったいまも。
生徒とは適切な距離を保ち、思い込みではなくデータで
押し付けではない助言をする先生を選びたい、
親しくならずとも適切な助言を与える先生は信頼される、
と思っていて、そこに性差はないはずなのに、
やっちゃった…と思った。
ジェンダーバイアスは潜んでいることを痛感。