ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

国語の問題

私立高校の過去問を解いている受験生の花子が
「私立高校の過去問って、癖があるけれど、
県立高校の過去問は癖がない。」と言っていた。
県立高校の先生たちは異動があるから、試験製作者も
頻繁に変わるからかしら、と思っていた。

昨日は花子の志望高校の英語の過去問を解き…
今日は国語の日。
英語の試験問題を解いているときも思ったけれど、
結構、癖のある問題を作っている気がする。
マニアックというわけではなく、偏屈というか…。
大好きです、と告白したくなる。

国語の問題。
数年前の問題は、マルクスの抽象的人間的労働についての
本からが出典。マルクス…興味なさ過ぎてきついわ…と
思いながら読み進めると、
機械化により労働時間が短縮されるかと思っていたのに、
実際はコンピューターの導入で職場以外での仕事も可能になった、
なんていう記述へとつながる。

その説明として適切ではないものはどれか。
ア:家に帰っていたけれど、コンピューターで仕事をする
イ:在宅中に職場から電話がかかってきて仕事をする
ウ:以下略
エ:・・・

これ、先生の悲哀を書いた試験問題か?!というような内容。
コンピューターで持ち帰り残業が可能になったことの弊害を
試験問題の中で訴えるとは。
涙なしに読めない国語…。

しかも、この問題文と以下の資料を読んだ上で答えなさい、
という添付の資料はコンピュータが活用されるようになってからの
人々の労働時間の変化。変化なし!
有給休暇の消化率…変化なし!
いや、僕たち、だまされてませんか?!っていうのが言いたいことか?
しかも、それをマルクスはすでに指摘していたわけで…
と奥の深い国語の問題文と悲哀を感じる設問に唸った。

いやぁ、すごかった…と気を取り直して、別の年の国語。
今度はデカルトですよ!哲学か?と思いきや、そうではない。
グローバル社会がもたらしたものは「モノが売れない」先進国と
「低賃金で重労働を強いられる」途上国の誰もが敗者の状況を
作り出している、とまずはガツンと一発。
デカルトの話を間に挟みつつ、物質科学を土台とした社会は
公平で効率的なある意味、安全で安心な社会を作り出す。

誰もが同じような生活をするということは、
同じような生き方をするということで、同じような教育を受け
その中でペーパーテストを競い、同じくらい優秀な成績をとり、
卒業後は社会人になる。
判で押したような人材が求められることを意味する。
まるで、機械の歯車の一つのように代替可能な部品に
なることを求められる。

…同じような公立中学校で教育を受け、
同じように進学塾へ通い、いま同じような成績の子たちが
目指している高校でこの国語の試験を読んだら…
しかも1時間目だったりなんてしたら、
じわじわくる…ボディブローのように効いてくる。
なんだ?これは誰への皮肉なんだ?!と。

今年の問題はどんなのだろうね!と花子より興味津々。
面白くない意味不明な現国の問題も数多く読んできたけれど、
花子の志望高校の国語の試験作成者のセンス、いい!