ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『ベーシックサービス 「貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会」』

”ベーシックサービス”という言葉を目にした。
ベーシックインカムは聞いたことあるけれど、”ベーシックサービス”は
初耳だったので調べてみると、
「医療、介護、教育などのサービスを収入の多少にかかわらず
すべての人が使えるようにする」という提案らしい。
財源は?と、すぐに思ってしまうけれど、ちょっと興味があったので
発案者の本を読んでみた。

『ベーシックサービス 「貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会」』

著者の経歴、ラサール高校→東大→慶応教授、
母子家庭で「母と叔母が借金にまみれながら学費を捻出」という経歴に
そうか、だから”ベーシックサービス”なのかと
すでに本を読んだ気になってしまいそうになった。
私の経験では、高学歴(大卒と言う意味ではなく高い偏差値の大学卒)の
人々は往々にして自分の学歴や学力を”自らの努力で得たもの”と
思っている。
いや、それは確かに正しい。でも、完璧ではない。
親の世帯年収文化資本といった環境要素も大きいし、なによりも
”運”も大きい、と私自身は年々、思うようになってきている。
大黒柱を大学卒業するまで失わなかったこと、
不景気の中でも大黒柱が失業しなかったこと、
(上記の理由で大学を去った友が数人いる…
私立大学なら同窓生による奨学金もあるけれど、国公立大学にはない、と
教授たちが言っていた時、衝撃を受けた。…20年前の話だけれど)
それはもう”努力”ではどうにもできない”運”があった。
彼らと私の違い、それはもうただの”運”だと思った。
ただの幸運。
その一方でただ不運に見舞われなかっただけの人たちが学歴がない人を
”努力しなかった”とみなすことに私はどうにもやるせない憤懣を抱えていた。
いつ不運に見舞われるかもしれない、と私は怯えているので
ベーシックサービスという考え方には賛同できる。

本書で出てきた「恥ずべき暴露」(shameful revelation)
哲学者、ジョナサン・ウルフの言葉で、生活保護申請者が
申請に際し、いかに自分が貧しく、弱い存在であるかを告白しなければ
いけない感情を見事に言い表している、と出てくる。

最近ではお店などでよく見かけるようになった女子トイレに置かれている
”生理用ナプキン”。
我が家のこどもたちの中学校では”保健室の先生に申告すればもらえる”
と子どもたちが言っていて、私は「はい?」と呆れ、
ママ友たちに「どう思う?!」と、同じように怒るだろうと思ったら
「それでいいんじゃない?」と言われて驚いたことがある。
えっ?そうなの?「生理中なのにナプキン忘れました!」レベルから
「経済的に困窮を極めていて今月はナプキンを買えそうにない」レベルまで
先生に報告するの?
なんのために?ナプキン1つか2つもらうために、そこまでの
自分の状況を語らせるの?そこに違和感は感じないの?と驚いた。
生理用ナプキン、1枚3000円するわけでもないのに?
そのナプキン1枚に払わせる精神的代償に見合っているのか?
話を聞いて、その後の対応を学校は何かしてくれるのか?

ベーシックサービスとはなにか、の入門書に最適な一冊。
とても読みやすいやわらかな文章。
この本を入り口に多くの人が政府に求めるものは?
自分の幸運さや公平さとは?について考え始めるだろう。