ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

『科学の女性差別とたたかう』

レビューを書きやすい本は、ほどほどの内容の本だと気づいたのは
読み終わった本のおかげ。レビュー書きにくい!
内容、濃密すぎる。

紙の本だったので、やっぱりマーカーを引くのは気が引けて
その代わりにと付箋を貼っていったら、すごいことになった。
もう本で知った新事実の数々にただただ驚き、
夫や家族に「知ってた?」と読んでいる間中、すぐに披露したくなった。

『科学の女性差別とたたかう』 

 私たちは科学者が客観的な事実を与えてくれるのだと
信用している。科学者が提供するのは偏見に
とらわれない話なのだと信じている。

という帯に書かれているこの文章、
「それはそうでしょ、科学者ですから」と思っていた。
本書ではそれがいかに違うかを思い知らされる。
新薬の臨床実験において男性が主に対象とされていた。1950年代は、
といいたいところだけれど、それが2000年代も続いていた事実。
その理由は女性はホルモンの変動が大きいことや
妊娠の可能性があるものの、わからない時期があることなど
なるほどと思わせる理由が述べられるものの、その結果どうなったか。
その薬が使われるようになったとき、副反応の男女差が大きくでた。

そのほかにも「男は外で狩猟、女は中」という使い古されたあの言い回し、
研究によると男性が外の狩猟で得るカロリーは1日の3割、
女性の採集により得られるカロリーは一日の6割。
もし、男性の狩猟を主に生活していたとすると、
人類は滅亡していることになる。
主に女性の採集に頼り、また男性の狩猟もあったとする研究など
「へぇ~!!」という発見も。

本書で知った”北欧パラドックス”、男女平等の北欧で
他国よりDVなどの数値が高いらしい。
この数字をどう見るのだろうか。
平等だからこそ、DVを言える環境なのかもしれないと私は思った。
「殴られて当然だから」という意味不明な発言を私は
パートナーに殴られた友人たちから何度か聞いたことがある。

この本で、新しく知った”ヒーロー”と書こうとして、
いやいや、男性ではないし、ヒロインだとなんだか違うし…
ここは日本語で。
新しい”英雄”を知った。

ボストン郊外に住むキャロライン・ケナード婦人はダーウィン
手紙を書いた。彼女はある集会で「女性の劣等性は科学的な原則に
基づいた」という話を聞き、その権威付けがダーウィンの著書だと知る。
そこで、ダーウィンに「間違っているだろうから、あなたの権威で
正してほしい」と手紙を書く。

ここで、ケナード婦人も私たちも期待する。
天才のダーウィン、生物進化学者として
「それは愚者の読み間違いですね。」と返信がくるに違いない!と。
ダーウィンは返事を書いた。

女性は道徳的な資質では一般に男性よりは優れてはいても、
知的には劣っていると確かに私は考えます。
そして遺伝の法則から(私がこれらの法則を正しく理解している
とすれば)女性が男性と知的に同等になるのはきわめて困難である
と私には思われます。

しかも、ごくまれに男性より優れた資質を持つ女性がいたとしても、
「それは子宮内で子供が両親からの特質を受け継ぐという事実によって
男性の上着の後ろ裾に乗って引きずられているかもしれない」とも
ダーウィンは書いている。どこまでも強引すぎるほど”男性”。
ダーウィン…言葉が出ない一方、ダーウィンも時代に生きていたことを
感じずにはいられなかった。
ダーウィンの時代、ヴィクトリア朝時代、女性は家にいた…のは
中流階級だけで、多くの人にとって、女性の収入は家族が飢えずに
暮らすために必要不可欠であったらしい。

キャロライン・ケナードはダーウィンに返事する。

まずは、女性の置かれた「環境」を男性と同様にし、
同じだけの機会を与えてから、女性が知的に男性よりも
劣っているかどうかを後世に判断いただくよう、お願いします。

1881年の手紙。キャロライン・ケナード婦人、かっこいい!
生きていたらサインもらいに行ったのに。
現在でも女性教授の数が男性に比べて少ないけれど、
それは男女の知性の差ではなく、妊娠出産で離脱する、
あるいは研究に費やす時間が男性に比べて少ないことに由来し、
そのため独身女性の場合は既婚女性より教授になる率が上昇する、
なんていうことは有名で既知の情報ではあるけれど、
この本に載せるということは…その差を知的レベルの差だと
思っている人がいるっていうこと…か?

「まったく先入観を持たずにいることはむずかしい」という
科学者の言葉に最も強く賛同する。
私たちが生きている社会、時代、気が付くと刷り込まれているジェンダー
文化を排除することはとてもむずかしい。