ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

最後に…

裁判員生活の終わりが見えてきて、座る席が近い裁判員たちに聞いた。
裁判員裁判の経験者、9割がやってよかった!と答えている、
なんていうデータがあるけれど、あなたはどうですか?」と。
男性と女性でしたが、
「良い経験だったとは思う…けれど、もうしたくない」と答えた。
私も同じ。
良い経験だった、と思う、
多分…きっと…いつの日か…いまではないけれど。
それでも、「なんだかなぁ…」と思うことはたくさんあった。
最終日に感想を求められ、裁判官に話した。
それが記録には残らなくても、
また裁判員選任で呼び出されたときは、
あいつはだめだ!と”理由なき不選任”をしてくれることだろう、
と思うくらい裁判員裁判に批判的になった気がする。
次回は”理由ある不選任”になるかも!?
(裁判所が公平な裁判ができないと認めた人は裁判員から除外できる。
何を根拠に???と謎だけれど。)

裁判員を経験して思ったことは
やっぱり”一般人”の知見には限界があるということ。
いや、知識や教養のばらつきがありすぎる、と言うほうが正しいかもしれない。
なんせ抽選…無作為の恐ろしさともいえる。
裁判官が法律解釈を説明してくれる、説明してくれた、
と多くの裁判員経験者がブログで書いている。
確かに、わかりやすい法律用語の説明は随所にあった。
ただ、大前提が抜けていた気がする。
推定無罪の原則”とか”疑わしきは被告人の利益”とか
基本のき、すぎて言い忘れていたのかもしれないけれど
起訴された=有罪、ではないのに
日本の警察は優秀、日本の検察は優秀、
そんな彼らに起訴される=有罪、と思っている。
最低限の原則くらいは被告人が公平な裁判を受けるために
周知徹底したほうがいいと思った。

狭い社会で生きている裁判官(いや、裁判官に限らない。誰しもだ!)に
一般人の知見を、常識を…というのが裁判員裁判のはじまりで、
裁判官たちは裁判員裁判にそれほど不満を感じていないようだった。
10年経つと検察も弁護人も資料もプレゼンも上手になっている、
運用がうまくいっていると思っているのだろうなということを
裁判官たちの言葉の端々から感じた。
一般人の”常識”、バックグラウンドも学んできたことも
人生経験もそれぞれが違う中で、それぞれの良心と常識に従い議論した。
評議室で裁判員6人と裁判官3人で多数決をとる。
(議論には補充裁判員3人も入るけれど、採決には加われない)
そのとき、多数派に必ず裁判官がいることというルールになっている。
裁判員6人賛成でも裁判官3人反対、では不適格)
評議室でのことは守秘義務があるので一般論だけれど
意見が変わらない人々が議論をする、しかも何時間も何日も…
その結果、形成が逆転!…なんてこと、あると思う?
しかも、最後は多数決。最初と同じ結果が待っていると予想できる。
これを”徒労”っていうんじゃないのか?
裁判官が決めれば?と思った日がほぼ毎日だった。
そして、そう感じる裁判員は私だけではなかった。
誰の意見も変わらない中、私も自分の良心と良識に従い、
自分が正しいと思うことを言い続ける日々…
「今日も自分の良心を貫いたぞ!!」と。

最後に”微妙すぎる”と思ったこと。
3庁の中が良いこと。。。
これは地域差があることらしいけれど、
3庁、検察庁、裁判所、弁護士会で某スポーツの親善試合をした、
なんていう話を雑談で聞くと、ものすごく複雑な気分になった。
それって、例えば、市の土木課が近隣の土木業者とスポーツ大会するような
ことと同じになりません?
利害関係者と休日に会う???
そんな組織、今の時代にある?あり???
驚きのあまり口が開きっぱなしになった。
地域によっては、検察官と弁護人がバチバチ…なところもあるらしい。
いや、それが健全なのでは?

評議室の議論において、裁判官の誘導があるのではないか?と
弁護士会のサイトや本などで裁判員裁判の批判理由として書かれているのを
幾度となく目にした。
裁判員の経験者として守秘義務の範囲内で答えましょう。
「裁判官の誘導はあったか?」
→微妙。。。
全くなかった!と言い切れない理由は議論の途中で裁判官が
彼らの意見を述べることにある。
その意見に全く影響されないか?と聞かれると、考え込む。
裁判官に意見を言うな!というのもおかしいと思うけれど、
議事進行を”裁判長”がすることには無理がある、と思うようになった。
一般論として、司会者が向かってほしい議論の方向へと誘導するでしょう。
検察官でも弁護人でも裁判官でもない第三者が議事進行をしたほうが
誰からの影響も受けないと思う。

裁判員裁判守秘義務、聞こえと建前はいいのだけれど、
誰も語れない評議室内での議論。
改善の余地は山ほどあるだろうけれど、
警察の取り調べと同じで密室で行われる限り問題点が指摘されにくい。
弁護士や法学部教授や准教授は裁判員になれないため
よくわからない”一般人”だけでは法的な問題点を指摘することもできず
(問題点を指摘されないために”一般人”と”守秘義務”なのか?
なんて穿った考え方をしてしまったりする)
被告人の利益にならない。
”被告人の利益”と言いつつ、”被告人”になるのは明日は我が身!と
裁判を通して思ったので、
裁判の公平性や適切性は市井の市民の利益だと思う。

なんてことを思う私は、ド素人なのかしら?と思っていたけれど、
同じように考えている本を評議後に読んだ。
裁判員になる前に読んでおけばよかった。

これらの本を読んでからなら、もっと違った切り口で
議論できたかもしれない…と思ったりした。
それが裁判官に好まれるか、一般人の知見の範囲内かは謎だけれど。